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2011年3月31日 (木)

ウィーンの旅 その5 墓参

3月19日
二人で中央墓地に行くことにした。

中央墓地は
ウィーンの中心地から南西の方向にあった。

地下鉄を降りて
トラム(路面電車)の停車場で
待っていた。
老夫婦が待っていたので
地球の歩き方を開いて
尋ねると頷いた。

地球の歩き方には
71番のトラムに乗るとあった。
ところが来たのは6番だった。

乗ろうとしたが
71番なので躊躇して乗らなかった。
ドアは閉まった。
先に乗った老夫婦が
大丈夫だと言っている。
そしてドアが開いた。
老夫婦が
中からドアを開けてくれた
ようだった。
そこで乗ることにした。

わたし達が乗ると
すぐに、トラムは動き出した。
71番でも大丈夫と
ドイツ語で言っていた。
2本の指を立て
墓地2の停留所で
降りれば近くだと言っているようだった。

二人に礼を言って
墓地2で降りた。

Dsc_0792
ベートーベンの墓
けいこさんは「エリーゼのために」を
弾いていることを報告していた。
わたしは第九の「喜びの歌」に
子供用の歌詞を付けて
卒業式に歌わせたことを思い出していた。

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シューベルトの墓

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モーツアルトの墓

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3人の墓が並んでいた。
この右手に
ブラームスの墓があった。

冷たい北風が吹き付ける
二人だけの墓参だった。

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ウィーンの旅 その4

ウィーンと言えば
ウィーン少年合唱団。

日曜日のミサに参加すれば
この少年合唱団の歌声を聞くことができる。

T先生が手配をしてくれていたので
日曜日(3月20日)の早朝、
全員で教会に出かけた。
多くの観光客が
並んでいた。
予約者は待つことなく入って
祭壇の前の椅子に腰掛けて
ミサに参加した。

30分ほどの
ミサが終了した。

少年達の歌声は聞こえたが
祭壇に向かって後ろ上で
歌っているので
姿は見えなかった。

観光客のために
祭壇の前に降りてきて
歌声を聴かせてくれた。

素晴らしかった。

Dsc_0916

終わった後
教会を出ると
少年達の保護者が
迎えに来ていた。

少年達は
快く記念写真に応じてくれた。
Dsc_0933

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2011年3月30日 (水)

できること

今朝、二人で
考えた。

わたし達に今、何ができるだろう。

群馬に避難されている方々に
音楽を聴いてもらうのは
どうだろうか。

2011大震災支援チャリティーコンサート。

そこで早速、
会場に当たってみた。
演奏者は
今まで我が家のホームコンサートで
演奏された方々を中心に
依頼することにした。

次のような素案ができた。

日時 2011年7月2日 土曜日 午後

会場 群馬県公社総合ビル(群馬県前橋市大渡町一丁目10番7号)
    ホール
    http://www.kousya.or.jp/access/index.html

出演者 北原正恵さん(ソプラノ)

      伊藤  正さん(ピアノ)

      伊藤友美さん(フルート)

      その他 チェロ、テノール等の方に依頼予定。

運営 実行委員会方式

このブログをご覧の皆様、
ご協力をお願い申し上げます。

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2011年3月29日 (火)

ど真ん中

しばらく振りに(3月29日)
弓道場に出かけた。

今日は前橋の弓具屋さんが
今年度の入門者用の弓を
持って来る日だ。

わたしのは「ノビ」で
一般より少し長目の弓だ。

数本の中から
気に入ったものを選び
試射してみた。

2本矢を射った。
1本目、当たった。
2本目、左に逸れた。

矢を取りに行ってくれたIさんに
「何処に当たっている?」
と確認。
「真ん中ですよ」

1本目の矢が
ど真ん中を貫いていた。

今まで当たることは
あったが
ど真ん中は
初めてだった。

その弓に
決めた。

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ウィーンの旅 その3

3月20日、楽友協会での
ウィーン・フィルの定期演奏会の
チケットをT先生に買ってもらった。

演奏される曲も分からず
ウィーン・フィルの音を只聴きたいという
想いで。   

定期演奏会ということもあって
観光客はほとんどいなかった。
ウィーンの常連ばかりのように感じられた。

座席は最後部であったが、
座席が少し高くなっていて全体が見渡せた。

指揮者が入ってくると
静かなピアノの演奏が始まった。
終わっても
拍手がない。
そして彼は静かに楽屋の戻った。

不思議だった。

ドイツ語のプログラムだから
見ても分からなかった。

ベートーベンのピアノ協奏曲第1番は
指揮者がピアノを演奏しながら
指揮をした。

ピアノと指揮ができる演奏家であった。
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2曲目
作曲家も曲名も
知らなかった。

終わってから
T先生にプログラムを見てもらって
分かった。

最初の演奏は日本の大震災の
犠牲者に献げたものだった。

指揮者は、ダニエル・バレンボイムで
ピアノの達人で、指揮もできるという有名な音楽家だった。

ウィーン・フィルのHPを
探したら、上記のことが記されていた。

http://www.wienerphilharmoniker.at/index.php?set_language=ja&cccpage=Home


プログラムは
次のように書かれていた。

Ludwig van Beethoven: Concerto for Piano and Orchestra No. 1, C major, op. 15

Arnold Schönberg: Pelleas and Melisande, op. 5

アルノルト・シェーンベルク
ウィーン出身の作曲家で
演奏されたのは 
交響詩『ペレアスとメリザンド』作品5
だった。

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原子力の平和利用

原子力の平和利用という
美名の元に
原発の開発を進めた。

科学技術庁ができた頃からだろう。

ものには光と影があるが
光ばかり見て
影を軽く見てしまった。

この道を
その頃の日本の政治家が
選択したのだ。
その政治家を
是認したのは
他でもない日本国民だ。

光が大きくなるほど
影も大きくなるのに、
それを無視して・・・

今の子どもたちは
この無責任な大人達の
犠牲者だ。

原子爆弾の
あの悲惨な体験を受けた日本人が
今度は
日本を原発事故の実験場にしてしまった。

自分たちが選択した道だ。
今度は他国の所為(せい)には
できない。

生物体系を狂わせ
地球を汚染してしてしまう
愚を
日本人は犯してしまった。


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2011年3月28日 (月)

大本営発表

わたしが生まれる以前
太平洋戦争があった。
戦局が悪くなっているにもかかわらず
大本営は
日本軍が有利に戦っていると
国民に知らせていた。

国民の大部分は
それを信じ、
戦争に邁進していた。

国民が負け戦であったこと知らされたのは
大分後であった。

真実を知らされるのが
後であってはならない。

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2011年3月27日 (日)

群響定期演奏会(第471回)

震災復興支援ということで
大震災の犠牲者に対して
全員で黙祷を捧げた。

最初に、バッハのアリアの演奏があった。

指揮者は
予定していた指揮者(ドイツ)が
大震災のため来日しなかったので
沼尻竜典さんが急遽勤めた。

1曲目は
ドビュッシーの
牧神の午後への前奏曲だった。

2曲目は
小菅優のピアノで
ベートーベンのピアノ協奏曲第4番だった。
アンコールの曲が
静かな曲で良かった。

後半は
ブラームスの交響曲第2番。
沼尻さんが熱演した。

終了後
今年で退職する下館さん(ホルン)の
インタビューがあった。
昭和55年に入団して
31年間勤めたそうだ。
ファンの質問に答えた。

変わったこと
豊田さんが指揮者として来てから
録音したり、外国の指揮者に来てもらったり
するようになり、
演奏技術の向上が図られるようになった。

変わらないこと
団友の優しさ

演奏終了後の
ファンとの交流の場は
いいものだ。

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2011年3月26日 (土)

生まれて10日目

赤飯を炊いて
重箱に詰め、
昨日作った煮付けと、
今朝作った豚肉とナスの南蛮づけ、
そしてやっとのことで買い込んだ
水のペットボトルを
車に積んで
孫の顔を見に行った。

関越道、外環道、常磐道を飛ばして
行った。
思ったより早く着いた。
生まれて10日目の
孫は静かに寝ていた。

名前はほぼ決まったようだ。
 
息子夫婦と4人で
持って行った料理を
さっそく食べた。

赤飯が良くできていたので
息子夫婦はよく食べた。

テレビが
息子の住まう地区の水は
乳幼児には飲ませないようにと
報じていた。

恐ろしい世の中になってしまったものだ。

強風の中
常磐道、外環道、関越道と
帰って来た。
思っていたより
近かった。

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2011年3月25日 (金)

水を求めて

3月16日に
長男に子供が生まれた。
住まいは茨城県。

今日は朝から水を求めて
スーパーに出かけた。
どこも
1家族500ml 1本だった。
1店だけ
1家族200ml 5本という店があった。

明日この水を持って
孫に会いに行く。

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2011年3月24日 (木)

ウィーンの旅 その2

ウィーンのホテルで
朝、テレビを付けると
日本の地震、原発事故のニュースが
繰り返し流れていた。

言葉はドイツ語で
意味不明。
画面にNHKワールドニュースが
時々流れた。

新聞は
駅や歩道にあるボックスに
たくさん積んである。
無料。
一面に
日本の地震と
原発事故の悲惨な写真が
毎日載っていた。

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2011年3月23日 (水)

ウィーンの旅 その1

3月15日に出発して
ウィーンに滞在。
ウィーンの文化を体感した。
1日だけ
ザルツブルクへ行って
モーツアルトの家を訪問。
3月23日、14:30に高崎に
帰って来た。

大地震、原発事故、計画停電という中での
旅行だった。
いろいろ不安なことがあったが
無事、帰ってくることができた。

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2011年3月14日 (月)

計画停電 その2

高崎市のわたしの町は
第5グループだった。
高崎市の中には
第1グループの町もあった。

ホームセンターに行ったが
15:00に終了だった。

第5グループは15:20~19:00
であったが
実際には
17:00~19:00
計画停電になるという。
2時間の計画停電が
間もなく始まる。

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2011年3月13日 (日)

計画停電 その1

高崎市の計画停電の時間

第1グループ  6:20~10:00
         16:50~20:30

第5グループ 15:20~19:00

高崎は東電のグループ分けでは
第1グループと第5グループに
入っている。

これは、記事の誤りなのか
2回あるのかは不明である。

断水も考えられるので
容器に水を入れた。

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2011年3月12日 (土)

大地震

桐生の帰り
前橋でいつもイチゴを買う農家の店に寄った。

孫の好きなイチゴだ。

「やよいひめ」が並んでいた。
「あきひめ」があるか聞くと
少しあるから取ってきてくれるという。
待っていた。

突然、
店が揺れ出した。
イチゴ販売用の最近建てた
小さな建物だったので逃げ出すことも
なかった。

自分の車が
ぐらぐら揺れているのが見えた。
こんな揺れの大きい地震は
初めてだった。
揺れている時間がとても長かった。

おさまってから
車で帰った。
道路から水が噴出しているところが
1ケ所、
信号機が消えていたのが
2ヶ所あった。

家では
玄関の手彫りのフクロウが
落下していた。
義母の部屋では
額が落ちたり、
仏壇の生花の花瓶が倒れ、
水浸しだった。
たまたま外出していたので
良かった。
部屋にいたら
落下物に当たるところだった。

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久しぶりの井野川で その3

3月9日の午前中
であった鳥

ヒヨドリ
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水を飲むハシボソカラス
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カワラヒワ
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カワセミのメス
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飛んだ
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留まったところは橋の横の管の上
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最後にいたのはジョウビタキのオス
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久しぶりの井野川で その2

3月9日の午前中
イタチが草むらに消えたので
よくオオタカが留まる木を
確認したら
いた。
2羽だった。
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下にいたオオタカが北の方角へ飛び去った。
上いたオオタカ
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左を見渡す。
Dsc_0192 

そしてこのオオタカは南の方に飛び去った。
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オオタカを今日も
ウオッチできた。

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久しぶりの井野川で その1

3月9日の午前
井野川に出かけた。

行きは特に変わりなかったが
帰りコガモが
いつもと鳴き方が違うことに
気付いたけいこさんが
見つけた。
イタチだ。
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川に入ったのだろう、
下半身が濡れている。

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可愛いしぐさだ。

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何かいないかな?

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この辺から行こう。

この後、草むらの中に
入って姿を消した。

こんなにゆっくり姿を見たのは
今回が初めてだった。

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2011年3月11日 (金)

たった一人の卒業式

退職時、中学1年生だったO君の
卒業式に行った。

卒業生はO君一人。
身長が伸び、一段と逞しくなっていた。
在校生2人が
心をこめた送辞を言った。

O君は答辞で
この3年間の思い出と
これからの希望を述べた。

お母さんが涙を拭いていた。

謝辞でお母さんは
感極まって何度も泣くのを
こらえながら読んでいた。

式歌の「蛍の光」を
しみじみ歌った。

参加者全員が
O君の健康と
これからの活躍を期待した
卒業式だった。

O君に幸あれ!

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2011年3月10日 (木)

ボニージャックスの歌

けいこさんの友人から
都合が悪くなったので
行ってみませんかと
ボニージャックスのチケットを
譲ってもらった。

会場は安中市民会館だった。
少し早めに行ったが
駐車場は一杯で
近くの小学校へ案内された。
一度市民会館に行ったことがあったが
周りのことは分からなかった。
会館の方に軽食ができるお店の場所を聞いて
出かけた。
思ったより遠く食べていると
間に合わない。
そこでスーパーに行った。

19時閉店なので
安売りがもう始まっていた。
おにぎりとパンを買って
会館へ急いだ。
道が広く
武家屋敷が復元されていた。
立派なツゲの生け垣の家には
梅林もあった。
初めて歩いたが
安中の歴史を感じた。





ボニージャックスの
歌は予想以上に力強い歌声だった。

『小さい秋見つけた』がヒット曲だったと
歌った。
ジャズも良かった。
障害のある子どもの詩に
曲を付けた歌は
心打った。

休憩でCDを買った。
わたしは
去年ラジオ深夜便で聞いて
記憶に残っていた
『そして葉桜のとき』を
けいこさんは
子どもの歌の曲で
感動した
『空とぶうさぎ』を

後半、その『そして葉桜のとき』を
歌う前に
ラジオ深夜便で昨年歌って、
反響のあった歌だと
紹介があったが、
ラジオ深夜便を聞いている人は
あまりいないようだった。
わたしは大きな拍手をした。
そしたら
「お聴きになってから
拍手を下さい」と言って
歌い出した。
しみじみした歌だった。

終わってから
出口で4人が見送りをしていた。
バリトンの方に
「早稲田のグリークラブだったとの話が
ありましたが
わたしの大学時代の恩師で
早稲田のグリークラブで歌っていたKさんを
ご存じですか?」
バリトン
「幾つくらいの方ですか?」
わたし
「74歳くらいです」
バリトン
「わたし達が4年の時
1年生くらいかな。
知りませんね」
握手をして、
3人一緒の写真を撮った。

バスの方に
「同じ髭同士、
写真をお願いします」
バス
「髭は同じですが
上の方は
負けていますよ」
と言いながら
一緒に並んでくれた。
わたし
「子どもたちの歌、
良かったです。
わたしは身体に障害のある子どもの学校に
いたことがあったので
子どもたちの言葉が
よく伝わってきました。
これからも
頑張って下さい」
バス
「ありがとう」
けいこさん
「この写真、
ブログに載せても
良いでしょうか」
快く承諾してくれた。

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2011年3月 9日 (水)

解散式

『空っ風の吹く前に』の公演が終えてから
10日経った今日、
箕郷文化会館で市民演劇の
解散式があった。

半年通った柏木沢線も
今日でお別れだ。
この道には
次のような想い出があった。

大学を卒業して
初めて務めた学校が
この箕郷文化会館より東に2キロくらいの所にあった。
1年目は自動車の免許がなかったので
この道をバスで通った。
2年目からは免許を取り、カローラで通った。
その道を今回の市民演劇に
参加することにより
三十数年振りに行き来することになった。
住宅も公共施設も大分増えたが、
町並みや榛名山の山容はそれほど変わらず
懐かしかった。

その学校で
わたしは3年目、
同僚の若い仲間に
「子どもたちに劇の指導をしているが
自分たちで劇をやって
子どもたちに見てもらうのは
どうだろうか」と
提案した。
子どもたちがセリフを覚える苦労や
動くことの大変さを
自分たちが劇を体験すれば
指導も、より良いものになるのではないかと
考えてのことだった。

10人近い仲間の賛同と
協力を得て若手教員の劇作りが始まった。
シナリオは小学校中学年用の作品から
わたしが井伏鱒二の『サンショウ魚』を選んだ。

配役が少ないこと。
サンショウ魚とカエルの対話がほとんどで
他のキャストは少し演じるだけで良かった。
テーマが
外界から閉ざされたサンショウ魚の苦悩だから、
身体の動きを制限された子どもたちのこころに
通じるものがあると思ったのだ。

夜遅くまで
練習して発表の日を迎えた。
予想以上に子どもたちから受けた。
その学校ではわたしが転出した後も
若手教員の劇が演じられ、
恒例となり
20年近くも続いたということだ。

そんな想い出の道だった。

解散式では
文化指導課長の話の後
公演のビデオを皆で見た。

観衆の様子が
演じていたときより
よく分かった。
わたし達が思っていなかったところで
拍手があったが、
それは知っている人が
登場だったり、
ちょっとした配役の視線の動きであったり、
だった。

2場で
わたしの登場
自分が演じているのに
他人が演じているように思えた。

ああすれば良かった。
こうした方が良かったと
思ってもどうにもならない画面だからだろう。

思っていたより
見られるものだった。
動作の緩慢さも
セリフの遅さも
わたしの素であったのだが
役柄が76歳の役だったから
演技のように見えたのだ。
やはり
相手役のIさんは76歳に
なりきっていた。
演技が突出している。
2場が終わって暗転したら
拍手が起きたが
それはIさんへのもので
あったのだ。

全員が熱演した。
セリフが飛んだり
真っ白になったりしなかったから
劇が途中で中断することがなかった。
最後のカーテンコールまでが
演技と練習した甲斐あって
プロの劇団に近いような
拍手の中で
幕が降りた。

演出のNさんから、
挨拶と報告があった。
観劇した方からの
感激したという感想。
指導をどこまで皆さんに要求したらよいか
前日まで悩んだこと。
カーテンコールの挨拶で
皆さんの拍手が役者の
卒業証書ですと思わず
出たこと。

脚本と演出したKさんから、
演劇が無事上演することができた
喜びと
演劇は誰でもできるというのが
信条と
いうことが語られた。
それが今回のことで
実感されたようであった。
Dsc_0226

この脚本、素晴らしいから
出版されたらどうですかと
いうと
飛んでもないと打ち消されてしまった。
世に問う作品だと思う。

沢山の写真が
記録のEさんから紹介され
それぞれが注文した。
最後にEさんから
花束をもらって和やかな笑顔のわたしの写真を
頂いた。
こんな顔
しばらく振りだ。

ひとつのことに
取り組んで
やり終えた時に生じる
最上の笑みだ。

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2011年3月 8日 (火)

英会話教室見学のはしご

午前中は中央公民館へ
10:30から始まる英会話教室に
行った。
少し前に玄関ホールに行くと
数人が事前の打ち合わせをしていた。
その中に20年前
けいこさんが水泳教室で
一緒になったSさんがいた。
Sさんは快く迎えてくれた。

先日、わが家に遊びに来た
ニールさんと一緒に見学した。

T先生は高崎に20年もいる
ベテランだ。
受講生は20人近くいる。
T先生は表情豊かに
オーバーなジェスチャーで
次々に英語で受講生に話しかける。
俳優のようで
面白い。
また、この語の後には形容詞とか、
名詞の後には・・・と文法にもなかなか詳しい。

終わってからこの教室の
世話役と話をすると
この会にはこれ以上
会員を増やせないので
他の英会話教室に
当たるように言われた。



そこで
けいこさんが先日
近所の公民館で
会員募集の案内を見かけた
英会話教室へ見学に行くことにした。
それがたまたま火曜日の
19時からだったので
夕食後出かけた。

以前、公民館に問い合わせると
その会は自主サークルなので
入会については
直接サークルに当たって下さいと言われ、
突然で大丈夫か不安であった。

教室に入ると
息子の親友の母親Sさんがいた。
「え!ここで英会話をやっていたの!」
知り合いなんか誰もいないと思っていたら
Sさんがいた。
一気に緊張が解けた。
会員は12・3人。
中央公民館の10回の英会話コースを
終えた人たちが
昨年作ったサークルという。

J先生はオーストラリア出身。
穏やかな女性であった。
模擬紙幣を使ったり、
ゲームをしたりして
受講生同士の会話を
沢山させていた。
和気あいあいで
楽しい教室だった。
21時に終わった。

今日は二つの教室を見学した。
もう少し他の教室にも
当たってみようかということになった。

それとも
ニールさんに直接
教わるのも良いかな・・・

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2011年3月 7日 (月)

エッセイサークルのMさん

Mさんはサークルの世話役である。
例会に欠席した会員にいつも
資料(会員の書いたエッセイ)を送ってくれる。

新年早々、NTさんは突然
ご主人を亡くされた。
1月も2月も例会(毎月第2木曜日)を
休んでいる。

今朝、上毛新聞の
広場(投稿欄)で
『早朝散歩症候群』というタイトルの
NTさんの文章を見つけた。
わたしは
以前からNTさんの文章が
いつか載るのではないかと
毎朝チェックしていたのだ。
早速、Mさんに電話をした。

わたし
「先日は、市民演劇を見に来て頂き、ありがとうございました」
Mさん
「良くやりましたね。感激しましたよ。
一緒に行った友達も喜んでいました」
わたし
「そうですか。Mさんにそう言ってもらえると嬉しいです。
やった甲斐がありました。
別件ですが、Mさん宅は何新聞ですか?」
Mさん
「朝日新聞ですけど、何で?」
わたし
「今朝の上毛新聞の投稿欄に
NTさんの文章が出ていました。
最近、散歩で癒されると
いうことが書かれていました」
Mさん
「そうですか。
良かった。
2月の皆さんの文章はNTさんに送ってあります」
わたし
「いつも、ありがとうございます」
Mさん
「近所に、上毛新聞を取っている友達がいるから
読んでみます」
わたし
「是非、目を通して下さい」
Mさん
「NTさんがサークルに出てくるまで
ゆっくり待ちましょう」
わたし
「そうですね。
3月例会は、また勝手に旅行に行くので欠席しますが、
よろしくお願いします」
Mさん
「行ってらっしゃい。
お土産話を楽しみにしています」

3月の例会のテーマは
『役割』だ。
そうだ。
Mさんのことを書こう。

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エッセイサークルのNさん

3月6日の夕方
弓道の方達の懇親会があった。

これも、忘れてしまって
夕食を食べていたら
電話。
「直ぐ行きます」と
箸を置いて
出かけた。

懇親会はもう盛り上がっていた。
A先生の向かいだった。
いろいろ話しているうちに
現役時代は
酒造組合に務めていたとのこと。

エッセイサークルのNさんは
若い頃、
大きな酒屋に勤めていたと
よく書いている。

わたし
「大きな酒屋さんに
務めていたNさんを
ご存じですか?」
A先生
「ああ、知っているよ。
懐かしいな。
会いたいよ。
どうして知っているの?」
わたし
「Nさんとは10年近く
エッセイサークルで一緒です。
今度一度、3人で飲みましょうと
Nさんに伝えます」

3月7日
合唱の練習を終えて
中央公民館の玄関ロビーで
ヴィオラのケースを持ったGさんに
ばったり会った。
Gさんは室内楽の練習に来ていた。
けいこさんを紹介した。
Gさん
「今度、演奏会をしますから
どうぞ聴きにきて下さい」
けいこさん
「室内楽のほかにも
どこかで弾いているんですか?」
Nさん
「高崎シンフォニー、足利にも
桐生にも参加しています」

そうだ、
エッセイサークルのNさんは
安中の室内楽団でヴァイオリンを
弾いていると書いていた。
わたし
「安中でヴァイオリンを長いこと
弾いているNさんをご存じですか」
Gさん
「ええ、知っていますよ。
昔、一緒に弾いたことがあります」
わたし
「Nさんとはここ(中央公民館)の
エッセイサークルで一緒なんです!」
しばらく
3人で音楽談義。

二日続けて
エッセイサークルのNさんと
心を通わせた人に
出会った。
Nさんの
人との繋がり広さと
出会いの不思議さを
改めて感じた。

「年を取った」と
いうことなのかもしれないが・・・

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2011年3月 6日 (日)

多胡碑は何を伝えようとしたのか

シンポジウムを聞きに行った。
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10:00~16:45という長時間だった。
一緒に行った従兄弟は午前の部で帰った。
昼食は「だるま弁当」を
音楽センターの前庭で食べた。
午後は五万石騒動研究会のTさんと
一緒に聞いた。

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コーディネーターは
土生田純之氏

平川南氏は
多胡碑は羊氏が自分で立てたという見解を
石碑の形や碑文の文字という観点から
述べた。

亀田修一氏
岡山の古墳文化と共通するとし
朝鮮半島からの渡来人による
文化説を強調した。

右島和夫氏
古墳時代に渡来文化が
利根川水系と日本海ルートの
双方から来て
上毛野にそれまでとは異なる
文化が起こったことを
古墳やその埋葬品から
伺えると述べた。



以下わたしの感想と想像

朝鮮半島から
来た渡来人が
多胡地域に高度な文化を
築き、この多胡碑を建てたということだ。

羊氏が、渡来人だったのか
それとも和人だったのかの
議論はなかった。

亀田氏は渡来人説を力説したが
右島氏は渡来人文化の
実証に力点を置いていた。

上毛野は古墳時代
東国の一大文化圏を作っていたのだと思う。
朝鮮半島から
日本に来た人々は
気候も温暖で肥沃なこの土地で
大陸文化を
華開かせたのだと思う。

日本人(先住民)との融合が
どのように行われたのかが
わたしには
まだよく推測できない。

高度な文化(漢字文化、製鉄、馬の飼育、養蚕、焼き物)を
持った人々をどのように日本人は
受け入れていったのだろう。

渡来人の言葉と
先住民の言葉が
どのようにコラボレーションしていったかが
分かると面白い。

今、英語がそのまま
どんどん日本語化している。
アイデァ、ワーク、シンポジウム、エトセトラ・・・
渡来人達の言葉が
日本語化していったのも
このようなものだったのかも知れない。

現在の日本は
外国人を受け入れるのに
いろいろな制約をしているが、
古墳時代は
もっと緩やかに(アメリカのように)
渡来人達を受け入れたように思われる。

多胡地域は
古墳時代、
国際都市だったのだ。

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2011年3月 5日 (土)

新雪の長七郎山

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14時から会合があったので
それに間に合うように
早目に家を出た。

9時頃、小沼の駐車場に到着。
スノーシュウを履いて
小沼に出た。
風が強く、雲の流れが速かった。

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1年振りにスノーシューを
履いて小沼の上を進む。
後ろは地蔵岳。

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行く手に風紋。

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誰も入っていない山道を
分け入る。
深いところは40~50センチは
あった。

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頂上近くになると
視界が開けた。
浅間山、八ヶ岳が見える。
薄くだがはっきり富士山が見えた。

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雪のゆるやかなシルエットに
暫し見とれる。
バックの地蔵岳が低く見える。

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頂上で(左後方は浅間山)
反対方向から登ってきた
ご夫婦に会う。
何と隣町にお住まいという。
アイゼンを履いてのトレッキング姿を見て
けいこさん早速、
アイゼンについての
教えを伺う。
6本と12本のがあるそうだ。

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頂上から降りると
直ぐに雪庇の道。

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小枝に雪が凍てつき
輝いていた。

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12:00前には小沼に戻った。
小沼を眺めて昼食。
けいこさんの
昆布と明太のおにぎりが
格別美味かった。

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2011年3月 4日 (金)

通院

定期的に通院して
血圧とコレステロールを
コントロールしている。

今日が通院日だった。
15時に予約していたのに
16時頃、公民館の源氏物語の
講座から帰ってきたけいこさんに
「病院は?」と言われ、
「忘れてた!」

毎回血液検査をしている。
結果が出ると診察室に
呼ばれる。

ドクター
「何か変わったことしましたか?」
わたし
「演劇がやっと終わりました」と
演劇の写真を差し出す。
ドクター
「元気ですね」
わたし
「はい。先生も仕事一辺倒ではなく。
好きなことやった方が良いと思いますよ」
ドクター
「忙しくてね。そう、イングリッシュガーデンを
作ろうと計画しているんですよ」
わたし
「それは、凄いですね。
完成したら、その庭でワインが飲みたいですね」
ドクター
「オープンガーデンですから、どうぞ」
わたし
「妻ですが、お陰様で、
術後、順調に回復しまして
2週間後にウィーンへ
オペラを見に行くことになりました。
チーズやピザを安心して
食べることができそうです」
ドクター
「痛みませんか?
それは良かったですね」
わたし
「腹痛の心配をしないで
旅ができるようになって良かったです」

そんなことを話した後
漸く、本来の血液検査の
話になった。
ある項目で
先月より数値が下がっていた。
処方されている薬の中の1種類を
1日に置きに飲むようにしましょうと言われた。

血圧の方は
正常に近い範囲であったので
処方は先月と変わらなかった。

1ヶ月後の診察日を確認して
診察室を出た。







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2011年3月 3日 (木)

ベジタリアン

公民館活動で
知り合いになったアメリカ人のNさんに
奥さん(日本人)と一緒に
遊びに来てもらった。

Nさんはベジタリアン。
昼食を何にするか
考えた。
たまご、バター、チーズまでは良いが、
魚、肉、は一切ダメなのだから・・・

けいこさん18番の
鮭の親子寿司は×

そこでいわゆる「混ぜご飯」にした。
ゴボウ、ニンジン、タケノコ、シイタケ、
油揚げ、コンニャク、を炒め
酢飯の中に入れてかき混ぜたもの。

ポテトサラダ。

ほうれん草の胡麻和え。

ブロッコリーとトマトとキュウリとタマネギ(スライス)のサラダ。

厚揚げのきのこソースあんかけ。

けいこさんが煮た花豆。

わたしの漬けた白菜。

わかめとネギの味噌汁。

二人は美味しいと言って
食べてくれた。

食後は桜餅と二人から頂いたイチゴ。

レパートリーが少ない上
更に肉、魚が使えなくなると
メニューは限られてしまう。
でも、日頃何も気にしていなかった
食材について考えさせてもらった。

Nさんは来春から
ベジタブル料理を
公民館で教えるとのこと。
二人で参加しようということになった。

英会話の指導については
現在、公民館で行われている
教室を見学してみてからと
いうことになった。

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新聞記事のブログへの掲載

今回の市民演劇を
上毛新聞では公演前日と
公演1日後の2回掲載してくれた。

写真もカラーで
中央近くに自分がいる。
そこで、その記事をこのブログに紹介しようと
上毛新聞に問い合わせた。

有料か無料か聞くと
ケースバイケースで
申込書を見て決めるという。

そこで申込書を送付してもらい
必要事項を書き入れ
FAXで送った。

夕方になり、担当から
電話が来た。
「社則の2
個人の趣味による記事の掲載は許可しない。
に該当しますので
掲載はできません」
とのこと。

上毛新聞は
個人のブログに記事を掲載することは
有料どころか
掲載そのものを
認めていないことが分かった。

読売新聞は
掲載料を支払えば掲載できた。

朝日新聞は
今回は無料で掲載できた。

新聞社によって足並みが異なっている。

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2011年3月 2日 (水)

「俺のそば」と「全力少年」

この一風変わった「俺のそば」というのは
昨年7月
北高崎駅から渋高線を
北へ300メートル行った右側にある
蕎麦屋だ。

ネットで知り合った
masaさんが脱サラして
始めた店。

今回の市民演劇のポスターを
店内に快く貼らせてもらっていたので
無事終わったことを
報告に行った。

1時過ぎに二人で伺った。
客は2~3組いた。
店のコンセプトは
「肉うま辛つけ蕎麦」で
若者に受けるよう工夫している。
蕎麦屋なのに
「ソースカツ丼」もやっている。
それが美味い。
今日はミニ蕎麦とミニソースカツ丼の
セットを頼んだ。
これレディースセットだが
若者向けだから
ボリュームはある。

いつもカウンターに座り、
masaさんが作るのを
見ながら
出来上がるのを待つ。
masaさんに余裕が見えた時
話しかける。

ところが
今日は隣に若者が腰掛けた。
昨日が卒業式だったと言う。
話しかけてきたので
話してみると
卒業した開放感と
仲間との別れの寂しさと
これからの大学生活への期待と不安が
入り交じっているように見えた。

どうしてこの店に
来るようになったのと聞くと、
「500円で腹一杯食べられるから」
と言う。
部活はサッカーで
デフェンスだったとのこと。
この若者と話していたら
「全力少年」と言う言葉を思い出した。

1ヶ月前、masaさんのブログを
見ていたら
「全力少年」と言う歌のことが
話題になっていた。
最近流行っている歌のようだが
歌っている「スキマスイッチ」も
全く知らなかった。

歌詞は知らないが
「全力少年」という言葉に
衝撃を受けた。

ちょうど
市民演劇のパンフレットの
挨拶文の原稿を
書こうとしていた時だった。
そこで
この「全力少年」をいただき
少年を老人に変え
「全力老人」という言葉にして
挨拶文を書いたのだった。

高校を卒業したての
この「全力少年」に
英語力を身に付け、
世界に飛び出すように
励ました。

これからの
日本を彼らに托すのだから・・・


付記

masaさんのブログ
M’s MEMORANDUM
http://north795.exblog.jp/15389606/



『空っ風の吹く前に』のパンフレット
わたしの挨拶文

演劇に初めて
挑戦しました。
課題は
その役になりきることでした。
自分とは異なる人間を演じることの
難しさと面白さを
体感しました。
今日は「全力老人」になって
演じます。
どうぞ初舞台を
ごゆっくりお楽しみ下さい。

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感想 その2

それぞれが忙しく
別々に感想を聞いた。


長男(東京から来てくれた)

60歳以上の人たちがやってるように
見えなかった。
みんな若々しく見えた。
真剣に取り組むと
年齢なんか関係ないんだね。


<長男は、仕事で障害のある幼児たちの
 言葉の指導をしているが
 劇遊びを通して言葉を発達させようと
 努力している。
 参考になったかな?> 


次男(児童たちと劇を作り、それをビデオ編集しDVDにしている)

親父の声や態度から
76歳という年齢が
感じられなかった。
元気過ぎたんではないかな。
ストーリーは身近で
分かり易かった。


<役柄の年齢に見えなかったようだ。
 年を感じさせようと
 少しオーバー気味に
 椅子に座る時、手をテーブルについて腰掛けたら
 演出から
 相馬は腰痛持ちではないのだから
 普通に振る舞うように言われ
 あまり老人ぽく動かなかったが、
 「よっこいしょ」とか言って腰掛けた方が
 良かったかな>


三男(大学時代、ロシア語でチェーホフの『ワーニャ伯父さん』をやったことがある)

まぁ、役になりきれたんじゃぁない。

<三男のアドバイスは
 「役になりきるんだよ。
 相馬になるんだ。
 自分を出してはダメだよ」
 だった。
 盛岡からこの演劇を見るために来て
 トンボ帰りだったので
 ゆっくり感想が聞けなかった>


 

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2011年3月 1日 (火)

群馬テレビで紹介された

2月27日の夕方
地元の群馬テレビのニュースで
『空っ風の吹く前に』が
紹介された。

当日の様子ではなく
前日のゲネプロの画像。

打ち上げ会場で
撮影したので
正面から撮れなかった。

「・・・わたしは、
きっと長生き出来ないわ」
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「おばあちゃんは
大福2つ食べた後だったのよ。
食べたことを
忘れているのよ!」
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「おばあちゃんは
わたし達の
大事な 大事な 家族なのよ!」
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観劇(感激)された方の感想

東京からお出でいただいた
洋上大学の同窓生
タッキーさんのメールの写し

楽しみにしていた いちじんさんの初舞台!

一体どんな風に登場されるのか・・見ながら心待ちしていました。 舞台暗転後の場面で いよいよ登場。

公園のベンチ前で 通りすがりに出合った人・・お互いに振り返り様に「もしや あなたは中学生時代の同級生の 珠ちゃんでは?」 「相馬くーん?」

その振り返る姿や 声をかけたトーンに 役柄がにじみ出ていました。

花咲市にある 「しあわせコーヒー」店に出入りするする人たち
それぞれが 個人的な悩みや相談事をかかえながらも 話すことから きっかけが生まれ 人と人とがつながっていき 新しい力にかわっていくというもの

この年齢にして 誰もが持つさびしさに ひかりが当てられました。 ユーモアとアイロニーが登場人物の人間性に現われていて 楽しめました。

終盤の「雪の降る町を」の合唱。 いちじんさんの艶のあるテノールが 合唱全体をおおうように響きました。
主人が 何度かめがねをはずして目をこすっていましたが、 あれは舞台の明るさで 目が痛いためでは ない、と思います。



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パンフレット

当日、配布されたパンフレット

表紙
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見開き左ページ
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見開き右ページ
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裏表紙
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