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2011年4月30日 (土)

中之条近辺のスミレ

スミレのベテランの方が
今回見たスミレは26種だったと
言った。
素人わたしは
20種くらいだった。

日本のスミレは
60種くらいだから
群馬北西部は
スミレの宝庫だ。

ほとんどのスミレは
道路の近くで
咲いていた。

でも
新道を作っている
最中の道を
通り抜け
道無き道を
踏み分け
やっと出会えた
スミレもあった。


ワークショップ終了後
中之条の町中の
「つむじ」で
いがり先生と
吉田さんと
数人でコーヒータイム。

いがり先生曰く
4月30日は
スミレの日。
理由は
4=中国語でスーのス
3=みっつのミ
0=零のレ
ということ。

スミレ博士の
唱えることだから
その内
スミレの日が
できるかも・・・

わたしからは
中之条で
スミレの写真コンテストを
開催したらと
いがり先生に
提案した。

夢の二日間だった。

 

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2011年4月29日 (金)

いがりまさし先生の

ワークショップ(スミレ学習会が
中之条町の伊参スタジオを会場に
1泊2日で行われた。
http://yamazato.info/taiken/taiken300.html

南は愛知から
北は宮城から
スミレ好きが
20人集まった。

仕掛け人は
ネット仲間の
吉田さん。

いがり先生と
一緒の車で
スミレを探した。

植物写真家から
直接、
スミレの撮り方の指導を
受けた。

沢山の
スミレに出会えた。

夕方、四万温泉に
浸かった。

夜はいがり先生の
レクチャーを聴き、
深夜まで
いがり先生と
飲み
語り合った。




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2011年4月28日 (木)

第4回目のレッスン

わたしは先週欠席だったので
2週間ぶりだった。

始めに近況を話した。
Do you have any plans for golden week ?

けいこさんが答えた。
わたしには次の二つしか
聞き取れなかった。
wedding    
sister's daughter
多分、わたしの姪の
結婚式があると言っているのだろうと思って
my sister's daughter
と言った。

わたしは前々回質問した
in club
on team
の違いについて
分かったことを報告した。

ニールさんは、
前置詞は理屈ではなく、
練習を積めば身に付くと
言って
memorize over time throgh practice
と書いた。



後半は
同音異字異義語の神経衰弱をした。
このゲームはconcentrationのゲームだと言った。

ニールさんは100枚のカードを
テーブルに並べた。
100枚もあるからなかなか同じカードが
見付からなかった。
mussel ムール貝
muscle 筋肉

do する
doe シカのメス

作ったばかりで
並べる時 shuffle しなかったので
同音のカードが並んで置いてあった。
それに気付いたわたしが
一番多く取れた。

でも、
分からない単語が一番多かったのも
わたしだった。

ニールさんから要望はないかと言われ、
けいこさんが
「分からない単語を日本語ではなく
やさしい英語で説明して欲しい」と言ったら
ニールさんは了解したようだったが、
わたしの方を見て
そうにすると
いちじんさんが理解できないのではないかと
心配そうな顔をした。

会話力に大きな差がある二人なので
ニールさんは
困っているようだった。

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2011年4月27日 (水)

第2回実行委員会

14:00から始めて
終わったのが
16:00だった。

・後援は群馬県等10ヶ所取れた。
・チラシのデザインがほぼ固まった。
・協賛(1口5000円)をお願いすることになった。
・プログラムはこれから詰める。
・係とその仕事内容が決まった。

順調にいけば
チラシが5月13日に仕上がる予定。
第3回実行委員会は
5月14日(土)14:00からとなった。

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2011年4月26日 (火)

何も無かったモロコシ山

赤城の裏山の
モロコシ山に行った。

ゴールデンウィーク頃
赤城姫が舞う山だ。

わたし達のように
変わったヒメギフチョウが
いるかも知れないと
思って登った。

芽吹きはこれからだった。
山道は落ち葉でいっぱいだった。
Dsc_0104

この春
登った形跡は無く
今日もわたし達だけだった。

11時30分頃
山頂に着いた。
木にくくり付けた温度計は
10度だった。

遠くから
シカの鳴き声と
アカゲラと思われる
ドラミングが聞こえてきた。

おにぎりと
サンドイッチを
食べて直ぐに下山した。

登り1時間30分
下り    30分だった。

ドラマがないという
ドラマの登山だった。

モロコシ山駐車場からの
帰り道
可愛いスミレに
出会った。

Dsc_0094

Dsc_0122

Dsc_0128

Dsc_0133

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2011年4月25日 (月)

インゲンの種まき

インゲンの種を撒いた。

ツルがあると支柱を
立てなければならないので
ツルなしインゲンだ。

この種、
収穫期間が短いので
撒く時期をずらす方が
良いとあったので
半分残した。

半分は10日後に
撒いてみよう。

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2011年4月24日 (日)

青島広志の音楽会を

聴きに
高崎市文化会館へ行った。

青島広志って知らなかったが、
ラジオでクラシックの話を
面白く語っていたのを
最近聴いたばかりだった。

チケットを切って
中に入ると
本やCDを販売するコーナーが
設けられていた。
そこで売っていたのが
青島広志氏。

彼の著書が
沢山並んでいた。
気が付く人が少なかったので
相手をしてくれた。

彼のモーツアルトの本を
見ながら
わたし
「この間、ウィーンへ行った時
モーツアルトのお墓参りをして
来ました」

「あのお墓には
モーツアルトの遺骨は
入っていないんですよ」
わたし
「そうでしたよね」
と合わせた。

けいこさんは
「青島広志でございます」を
わたしは
「ゆかいでヘンなオペラ超入門」を
買って
彼にサインしてもらった。



彼の創作した
オペレッタ「学生王子」は
おもしろミニ・オペラだった。

バリトン    泉 良平(高崎市出身)
ソプラノ    江口二美
テノール    小野 勉
ピアノ伴奏  青島広志

彼が好き勝手に選んだ
ニッポンの歌と
オペラの曲を
組みあわせた
ストーリー。

何しろ
話が立て板に水。
軽いジョークを入れながら
面白おかしく
展開していった。
ピアノ伴奏は
自由闊達。
青島広志の世界。



一世を風靡した
青島幸雄の
「アオシマダー」を
彷彿させる舞台だった。

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トウモロコシの種を

昨日耕したところに
1袋撒いた。

30センチ間隔に
けいこさんが
3粒ずつ種を置く。

わたしが
土をかける。

芽だ出たら
1本仕立てにするとある。

上手く育って
10本かな。

数日前にシモニタネギ。
昨日はエダマメ。
明日はインゲンだ。

7色畑にするには
あと3種類。

キュウリ、ナス、スイカかな。
これらは苗を買って
移植しよう。


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2011年4月23日 (土)

空き巣が・・・

近所のご夫婦は
お二人で入院していた。
しばらく留守が続いていた。

昨日、
奥さんが退院して
帰ってきた。
今日は警察官が4人も来て
調べている。

お二人が
入院中、
変な電話が掛かって
来たことがあったという。

その話を聴いた時、
俺俺サギの電話かと思ったが
空き巣とも
関係があったのかも知れない。

東側の出窓の鍵に近い
部分のガラスが割られていた。
そこから
侵入した。

手袋をして
物色したようで
指紋はなかったらしい。
盗られたのは
装飾品とのこと。

こんな近くで
空き巣の被害。

地震は天災
諦めもつく。
空き巣は人災
許せない。

戸締まりを
しっかりしよう。

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見学会

今日と明日の2日間
息子の家の
見学会。

ようやく
この日を迎えた。

売りは・・・
ソーラーの屋根。
土地の形を無視して
屋根を南向きにして
設計。
パネルを屋根全面に
貼り付けた。

屋根で作られる電気は
自分の家で
使うくらいは
できるだろうとのこと。
晴れればの話だが・・・

見学会で
業者に訊いてみた。
「この家の屋根で
暖めた空気は
どうなっているの」
業者
「夏は屋根で暖かくなった空気は
外に強制的に排気します」
わたし
「その熱風で水を
暖めて使えばいいのになぁ」
業者
「この家は
熱風で水を温められませんが、
最近、
電気を作ると共に
屋根で暖めた熱風で
水を温めるようにしたものが
出ました」
わたし
「それにすれば
良かったのになぁ」

この家は
深夜電力で
水を温水にするようになっていて
屋根の熱風で
水を温めるようにはなっていないとのこと。

ここまでエコに凝るんだったら
屋根で
電気を起こすだけでなく
水を温水にするようにも
すれば
良かったのになぁ・・・

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2011年4月22日 (金)

真緋(あけ)の会

中央公民館は
今月夜間の使用ができない。
今月の例会は
我が家でやることにした。

1人が都合悪くなって
6人が17時きっかりに
見えた。

丸テーブルを
囲んでそれぞれの持ち寄った
文章を検討し
感想を述べ会った。
3月の例会が大地震で中止だったので
みんないつもより
意見交換が活発だった。

テーマは「役割」だった。
それぞれのタイトルは
Oさん
「懐かしの歌」(3月分)「父親の役割」
Kさん
「3月11日」
Nさん
「役割いろいろ」
Moさん
「空っ風が吹く前に」
Maさん
「役割」
いちじん
「実行委員長」

一番興味深かったのは
「父親の役割」で
NHKの朝ドラ「てっぱん」の
あかりの父についての話だった。

この朝ドラの
作者が誰なのか
見ていて
よく分からなかった。
Oさんの報告で
それが解消した。

Oさんはこの文章を書くのに
「てっぱん」を小説にした上下2冊の
本を参考にしたと言って
持ってきていた。

わたしは作者を知りたくて
その「てっぱん」を手にした。
なんと脚本は3人が書いていた。
そしてこの本の作者は
4人目だった。

どおりで作者が
よく分からなかったのだ。




一番嬉しかったのは
Moさんの「空っ風の吹く前に」だった。
2月27日に
わたし達の
市民演劇を見に来てくれたが
その感想だった。
Moさんは歌人。
文章の最後に
詠まれた短歌を6首載せている。
その短歌の1首に
わたしの名前が・・・

自分が短歌に
詠み込まれるなんて
初めてだ。

そこで紹介

顎髭が チャームポイントの ○○さん
   前職教師の 新しき貌





一番驚いたのは
「3月11日」
その日
Kさんの誕生日だったというのだから・・・
10階の姉のマンションで
大揺れを体験した話だ。
この日が
来るたびに
この会のメンバーは
Kさんの地震体験を
思い出すことだろう。

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除草で・・・

草を自由に
伸ばしていた小さな畑を
今年は少し活用しようと
ということで
先日は
妙義山の物産展で買った
シモニタネギを
少し植えた。

ほかのものも
育てようと
草取りを二人でした。

「何を作ろうか」
けいこさん
「枝豆が美味しいわね」
ということで
わたしは
枝豆用の畦を作った。

スギナがはびこっているから
なかなか進まなかった。

けいこさんは
隣との境の草取り。
持ち付けない鎌で
奮闘。
終わったら
「手に豆ができちゃった」
と言う。

まだ
種まきしてないのに
もう、
豆を作っちゃった!

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2011年4月21日 (木)

伝わらなかった

20日
ネイティブのニール先生に
「アノー トナリガ
ソーシキ。
ネイバーフッド
ソーシキ。 
レッスン チェンジ
デキマスカ?」
と電話した。
「キョウノ ゴゴ ダメ
キンヨウビ ヨテイ
アリマス」
と言うので
「アシタハ
ワタシ ヤスミマス。
ケイコサン
ヒトリ」
ニールさんは
「ハイ」
と答えた。




隣の葬式の受付をして
お清めをよばれて
帰宅。

「レッスン どうだった?」
とけいこさんに
開口一番に言った。
「いちじんさんから
隣に 掃除屋さんが
来るんで 休みだという
電話が あったと
言ってたわ」
わたし
「ソウシキが
ソウジヤになってしまったのか・・・」
けいこさん
「アメリカでは
生活の中に
掃除屋さんが
大分
pupularなようよ」

葬式という
英語を知らなかったので
こんなことになった。

辞書で調べた。
FUNERAL
funeral
フュネラル

わたしの
レッスンは
この1語でした。

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2011年4月20日 (水)

単1乾電池が切れたので

夕べから
我が家のキッチンのガスコンロが
使えなくなった。

朝のお茶は
卓上ガスコンロで
湧かした。

近くの日常品の量販店に行って
驚いた。
単1の乾電池が一本もない。
単2、単3はたくさんあるのに・・・

もう一軒、グッズ店に寄ってみた。
やはり、そこも単1だけがない。

夕食の準備が近いのに
ガスが使えない。



そこでもう一度考えてみた。
家の中で使っている単1乾電池が
ないだろうか・・・

そうだ。
懐中電灯の中に
単1があったはずだ。

では、懐中電灯は
何処だ。

しばらく考えて
やっと冷蔵庫の横に
張り付けていたことを
思い出した。

早速、懐中電灯から
単1電池を取り出し
ガスコンロに装着した。

ガスに火が点り、
今夕の夕食の
準備が可能となった。

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2011年4月19日 (火)

眼鏡を

今回も
飲み過ぎた日の翌朝
枕にしていた。
これで2回目。

自分で曲げ直して
使っていたが
とうとう片方の柄が
ぽろりと取れてしまった。

急遽
眼鏡店に行って
シルバーグラスを
新調した。
(老眼鏡とは言わない)
視力を計ってもらったら
大分度が
進んでいた。
(衰えていたとは書かない)

新しい眼鏡にしたら
新聞の文字が
急にはっきりと色濃く
見えるようになった。

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爺さんになって

4年目になった。
今日は初孫の誕生日。

嫁からプレゼントの情報を得て
昨日
いそいそと二人で
おもちゃ売り場に
行った。

メモを見なければ
言えないキャラクターの
おもちゃ。

今時の
女の子は
こんなのに人気があるのかぁ・・・
息子達の時は
ウルトラマンだったなぁ・・・

ケーキカットの後
孫から
「プレゼントは・・・」と言われ
大急ぎで
けいこさんが持ってきた。

今夜は
このおもちゃを
抱いて寝ることだろう。

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後援の受理

先週
チャリティーコンサートの
後援依頼を申請したが
予想以上に受理の連絡が
早く来た。

1 FMぐんま
2 ラジオ高崎
3 前橋市
4 群馬県
5 高崎市
6 前橋市教育委員会

まだ来ていないのが
7 群馬県教育委員会
8 高崎市教育委員会
9 上毛新聞
10 群馬テレビ

今週中には揃うのでは
ないかと期待している。

 

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2011年4月18日 (月)

ホザキマンサク

この花を
前橋の農産物直売所で
2年前に見た。

白くて丸い
優しい感じがして
鉢植えを即買い求めた。

その年、
咲き終わってから
義母が庭に下ろした。

2年目の今年、
しっかり根付いた
ホザキマンサクが
花を咲かせた。
Dsc_0005

Dsc_0060
ネットで探しても
この花の画像は
ほとんど見当たらない。

もしかしたら
花の名前が
違っているからかも
知れない。





けいこさんから
書き込みがあった。

正式名は
「フォザギラ・マヨール」で
別名「シロバナマンサク」
とのこと。

「フォザギラ」を
「ほざき」と聞いた人が
いたのかもしれない。

この名前は覚えにくい。
シロバナマンサクなら
間違わない。
そういえば
アカバナマンサクというのも
あった。

白に赤、
そして
普通のマンサクは
黄色。


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2011年4月17日 (日)

プログラム編成会議

チラシを作るには
プログラムができていなければ
進まない。

急遽、演奏される
北原正恵さんと伊藤 正さん、
それに今まで合唱の演出を
沢山手がけているSさんに
集まってもらった。

演奏時間やその順番、
それぞれが演奏する曲目等に
ついて話し合った。

チラシや
コンサート名、
舞台照明や
音響、録音録画等についての
基本的なことを
話し合った。

多くの方達の
助けを借りて
チャリティーコンサートを
実施していくことになった。

さあ、忙しくなってきたぞ。

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2011年4月16日 (土)

群響オープニングコンサート

妙義山に登って
妙義山麓美術館に寄った
その夜は
群響のオープニングコンサートだった。

座席指定ではなかったので
早めに行った。

席を探していたら
昨日偶然会ったATさんの姿が
あった。

自分の席を決めてから
ATさんのところへ行って
今回のチャリティーコンサートの
経緯を話した。
チケットができたら
お願いしようと思う。

群響のコンサートに
仙台フィルから4人の演奏家が来て
一緒に演奏した。

黙祷後
犠牲者の慰霊を弔って
バッハのアリアを演奏した。

1 タンホイザー序曲
2 リストのピアノ協奏曲2番
3 ベートーベンの5番「田園」

演奏会終了後
大震災後の仙台フィルの現状の
報告があった。

ホールが使えないため
しばらく演奏会はしないとのこと。
現在は少人数に分かれて
避難所に演奏に行っているそうだ。

早く演奏会が
開催されるようになりますように・・・

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妙義山麓美術館

昨年の暮れ、
上毛新聞のチャリティーオークションで
「ミクロス島の風車」の絵が
気に入った。
地中海の明るい広がりが
わたしを引き付けた。

幸運にもわたしに
落ちた。
それ以来
ずっと居間に掛けている。

作者は知らなかった。
ネットで調べたら
妙義山麓美術館の館長であった。
http://www.city.annaka.gunma.jp/kanko_spot/bijutsu.html
挨拶に行こうと思ったのだが、
この美術館は冬期休業とあった。
その時
春になったら
訪問しようと思った。

と言う訳で
妙義山1本松トレッキングの帰り
妙義山麓美術館に寄った。

受付でその旨伝えると
喫茶室に案内された。
館長と対面。
何と髭の伸ばし方が
わたしと同じ!
それには驚いた。

ミコノス島には
ずいぶん昔に行ったとのこと。
当時の印象を
思い出して描いたのだそうだ。

コーヒーを頂いた後
美術館で開催していた
「碓氷峠アート・ビエンナーレ」に
入った。
峠の釜飯の蓋に絵を描いた作品の
展覧会だった。




見ていたら、
「いちじんさん」と声をかけられた。
「え!」
すぐに思い浮かばない。
「この作品がわたしのです」と
案内され、
作品の下にある名前を見て
思い出した。
20年前、職場で一緒だった
Sさんだった。

Sさんは昨年この美術館で
いとこ展を開いたと言う。
そういえば上毛新聞で
その記事を読んだことを思い出した。

Sさんから作品絵はがきを
2枚もらった。
1枚はいとこ展の時の作品。
もう1枚は今回の展覧会の作品。

展覧会会場でのSさんは
生き生きしていた。
退職後、
充実した生活を送っているように
感じられた。

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妙義山の一本杉トレッキング

妙義山の桜は見頃だった。
農産物直売所で
ウドやワラビを買った。
例年なら観光バスが
駐車場に入るのに
数珠繋ぎなのに今朝は
1台もなかった。

毎年止めている空き地に
車を止めて
登り始めた。

熊に注意の看板が
真新しくなっていて
ちょっと緊張した。

カタクリは最盛期を越していた。
Dsc_0234
アズマイチゲは
例年より少なかった。
Dsc_0187

鳥も見たのはカケスとヒヨドリ。
ミソサザイとウグイスが鳴いていたが
姿は見つけられなかった。
アカゲラも声だけだった。
遠くからドラミングの音がしてきたが、
多分アカゲラだろう。

1本松の直ぐ下のさくらの里で
昼食。
Dsc_0221
桜は8分咲き、
風が強く吹いても
桜吹雪にはならなかった。

おにぎりを
食べ終わったら直ぐに
下山。

水場に数頭の
スギタニルリシジミが
飛び回っていたが
止まっても羽を開かず
美しいブルーの表羽を
見せてもらうことは
できなかった。
Dsc_0166

1ヶ月振りのトレッキングで
身体が重かった。
最近、井野川の散歩を
していないからだろう。

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2011年4月15日 (金)

念ずれば・・・

声をかけてくれたのは
ATさんだった。

車のスタッドレスタイヤと
普通タイヤの交換が出来上がった
16時頃、
自転車で車屋に向かって
大通りの舗道を走っていた。

「いちじんさん」と
渋滞して止まっていた車の中から
声がした。

車を覗くと
助手席にATさんがいた。
わたしは自転車から降りて
近寄り、
チャリティーコンサートの
経緯を述べ
一方的に
協力をお願いした。
ATさんから返事を聴く前に
車は発進してしまった。



これには
こんな訳があった。

ATさんとは
大学が同じだった。
彼は音楽専攻で
専門はピアノだった。
同期だったから
就職したのも
退職したのも同じ年だった。

20年も前だが
前橋第九合唱団に入団して
3年間
歌ったことがあった。
その時、ATさんは
ピアノの伴奏をしていた。

退職する数年前、
ATさんとは職場は異なったが
同じ地域だったので
会議等で一緒になることが
しばしばあった。

最近、
群馬音楽家協会の催しに行った時
ATさんは活躍していた。

そんなことで
今回、チャリティーコンサートを
立ち上げるに当たって
ATさんに
協力してもらおうと思っていた。
そんな矢先に
偶然ATさんの方から
声をかけられたものだから



SURPRISE。

念ずれば・・・出会う。




ATさんは現在も
音楽専門の高校で
ピアノを教えているとのこと。

明日、
電話で
ゆっくり事情を話してみよう。

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2011年4月14日 (木)

イタチの・・・

レッスンの2回目

ニール先生は
2つのエピソードを
英文で書いてきた。

最初のエピソードは
リバーサイドを
マラソンをしている時
野生のweaselを見た話。

わたし達も
3月12日、散歩でweaselを見ていたので
話が弾んだ。

下の「久しぶりの井野川で その1」 参照
http://kokoronotabi.cocolog-nifty.com/kokoro/cat6318293/index.html

わたしは
「イタチの最後っぺ」という
諺が浮かんだので
紹介した。
和英辞典でイタチを
調べたが
その諺は無かった。

けいこさんは
下品なことを言ってと
呆れかえって
そんな言葉、聴いたことがないと
取り合わない。

屁=faet(卑語) 普通は、break wind あるいは  pass gass という。

岩波国語辞典には
「苦しまぎれにとる最後の非常手段のたとえ」とあった。

原発(nuclear power plant)事故で
壊れた原子炉に水をかけているが
あれ、
「イタチの最後っぺ」
にならなければ
良いのだが・・・

さて、これ英文にすると

the last weasel's faet

the last faet of weasel

来週、ニール先生に教えてもらおう。

 

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文字化け

県庁の文化振興課から電話
「教育長宛の後援申請書には
押印がありましたが
知事宛には押印がないので
お願いしたいのですが・・・」

わたし
「おかしいと思ったんですよね。
押印する場所に小さな四角があったので
テープ消しで
消しましたが・・・
押印の「印」が文字化けして
小さな四角になっていたとは
気が付きませんでした」

担当
「再度、後援申請書を書いて
押印して郵送するか、
県庁に来てこの書類に押印するか、
どちらにしますか?」

わたし
「そちらに伺って
押印します。
県庁の何階ですか?」

担当
「25階です。
17時15分までやっています」

ということで
夕方、県庁まで二人で
押印に行った。
幸い、エレベーターに乗っている時
地震が無かったので
閉じこめられることもなく
スムーズに
行って来られた。

FAXで申請書を送ってもらっていれば
こんな無駄足を踏むことは無かったのだが、
我が家のFAX
現在、故障中。


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取っ手割れ

今年度最初の陶芸教室だった。
義妹からリクエストのあった
皿が素焼きされていたので
釉薬を着けた。

次に
前回粘土で作った
取っ手付き汁器がよく乾いたので
素焼きしてもらおうと
取っ手を持ったら
ポロリ。


焼いてないから
簡単に折れてしまった。


先生に聞いたら
「ダメだよ。
壊して粘土に再生だよ」

什器が大きくて
重たかったから
取っ手が
折れることは
十分、分かっていたのに
やってしまった。



今日は
年度初めなので
昨年度していた会計係を
次の人に渡せると思って
会長に伺ったら
「このまま、続けて下さいよ」
の一言。
「え!」
と継続になってしまった。

このことが
取っ手割れを
起こしてしまったのかも・・・






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2011年4月13日 (水)

後援申請書の郵送

後援申請書を郵送で可と
というところの
群馬県、群馬県教育委員会、
ラジオ高崎、FM群馬には
郵送した。

けいこさんが
NHK前橋に問い合わせたら
個人が立ち上げた実行委員会には
後援をしないとのこと。
せっかく申請書を用意したので
活動を知ってもらうだけでもと
投函した。

上毛新聞と群馬テレビには
実行委員のIさんが
15日にアポを取ってくれたので
3人で持参する予定だ。

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2011年4月12日 (火)

後援申請書の提出

実行委員のAさんが
午前中に
高崎市と高崎市教委、
前橋市と前橋市教委に
アポを取ってくれた。

午後、Aさんとけいこさんとわたしの
3人でまず、高崎市役所に出かけた。

秘書課。
会場が前橋なので
前橋市の申請が通ったら
高崎も直ぐにお受けします。
ということで
前橋市の申請が通ったら
連絡するようにとのこと。

教育委員会。
1週間ぐらいで
結果が出るということだった。

次に前橋市役所に行った。
後援申請の担当は文化国際課だった。
演奏者の中にグルチンさんの名前を見て
凄い方が演奏されるんですねと
感心してくれた。
教育委員会の後援担当は
生涯学習課なのですが、
場所がここではないので
こちらで書類を預かって
そちらへ回しますとのことで
一カ所で済んだ。

桜が見頃だったので
前橋公園から敷島公園の方へ
足を伸ばした。

桜は満開だったが
風が冷たかった。
桜の開花が例年より1週間は遅れたと
コーヒーを飲みに入った
ホテルの方が言っていた。

東日本大震災の影響で
春休みの宿泊客(学生)のほとんどが
キャンセルになって
経営が大変とのこと。

今年は桜のライトアップも
自粛で夜桜見物の客も
少ないようで
何とも言いようがなかった。


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2011年4月11日 (月)

後援申請書の入手

高崎市、前橋市、
新聞社、放送局等に
後援してもらうためには
後援申請書を提出しなければならない。

けいこさんが
それぞれのHPから
後援申請書をダウンロードして
プリントしてくれた。

ほとんどのところが
HPから申請書を
手に入れることができた。
HPに載せていないところは
FAXで申請書を送ってくれた。

わたしは群馬県に後援して
もらうため、HPに当たってみたが
後援の申請書は見当たらなかった。
そこで、
県の秘書課にメールで問い合わせた。
すると
翌日の朝
文化振興課から電話がきた。
HPに申請書は載せていないので
FAXで送ってくれるとのこと
メールに添付の方がクリアだからと言うと
メールで送付してくれた。

早急に申請書を書いて
添付資料を揃えて
申請に出かけよう。

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2011年4月10日 (日)

ウィーンの旅 その7

夕方、前橋の寿司屋に
一緒にウィーンに行ったメンバーが集まった。

3人の方が欠席したが
13人が出席した。

ウィーンから帰ってきて
もう2週間が経ってしまった。
大震災、原発事故で
ゆっくり振り返っていられないのが
現状だが、
今夕は
ウィーンの町で過ごした
音楽三昧の日々を
皆で楽しく思い起こした。

それぞれが
心に残った思い出を語った。

また、このメンバーで
音楽の旅をしたいという話になった。
ウィーンを基地にして
いろいろな所へ足を伸ばすのも
良いなぁ・・・

最後に
チャリティーコンサートについて
わたしから紹介をした。
チケット販売に
協力するという方がいて
心強かった。

Kさんは実行委員会に
ぜひ参加したいと言ってくれた。

けいこさんのピアノの先生で
今回のウィーンの旅を
持ち上げてくれた
I先生も参加されていた。
以前行った「国際交流チャリティーコンサート」の
記録集(スサーナ&サンドラ 世界を歌う)を貸して下さった。
実行委員会の詳しい記録集で
参考になるところが
沢山ありそうだ。

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2011年4月 9日 (土)

第1回実行委員会

2011大震災チャリティーコンサートの
第1回実行委員会に
10人の方が集まってくれた。

初めて来られる方もあって
始まったのが15:30。
終わりは
18:00を過ぎてしまった。

原案はほぼ通ったが、
原案にはなかった
後援や協賛を取って
活動を広げた方が良いという
意見が出された。

チラシに後援を載せるためには
早急に後援を取らなければならない。

また
実行委員会に副題を
付けようと言うことになった。

忙しくなってきたぞ。

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2011年4月 8日 (金)

企画書の作成

4月9日に
2011大震災支援コンサートの
第1回実行委員会を開催するに当たって
企画書を二人で作成した。

わたしは以前、
実行委員会に参加して
幾つかの行事を開催したこと思い出した。





1991年10月4~8日
高崎市中央公民館で
高崎アウシュビッツ展を開催した。
その時は書記を務めた。
入場料は取らなかったが
段ボール箱に100万円以上の
寄付金が入った。
それで感想文集を作成した。

その次の年は
映画「コルチャック先生」の
上映会を高崎市文化会館で開催。
実行委員長だった。
集客に奔走したので
立ち見が出るほどだった。





しばらく振りに
実行委員会を立ち上げる。
時間のロスがないように
効率的に進めるために
わたしが原案を作り、
けいこさんが修正しながら
まとめることに・・・

原案に対して意見を
言われると
素直に受け入れられない。
そこで
感情的に反論。
険悪に・・・

そんなことでは
「史上最悪の夫婦」になってしまう。
気を入れ替えて
素直に意見を聞くことに
そして反論は
興奮しないで冷静に
話すことにした。

そんなことで
どうにか企画書が
出来上がった。

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2011年4月 7日 (木)

レッスン その1

アメリカから来ている
ニールさんに
今日から英会話の指導を
受けることになった。

けいこさんは
その日のエピソードを
会話で教えてもらいたいと
希望した。
わたしは基礎英語3も
やっとだから
簡単な単語を並べての
単語イングリッシュ。

けいこさんは
聞き取りは
ある程度できるから
ニールさんの言っていることを
ほぼ理解している。
わたしは
幾つかの単語が
少し浮き出る程度だから
ちんぷんかんぷん。

今日は
ウィーンに行った時の写真を
題材に
交互に英語で説明をした。

複数のs、anかa、theの言い方等
基本的なことで詰まって
しどろもどろ。

ボキャブラリーが少ない上に
構文はほとんど身に付いていない。

ニールさんに
わたし達の実態が
よく分かった2時間だった。

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「ウィーン家族」を読んで

ウィーンの旅から帰った
3月下旬、
ラジオ基礎英語3のテキストを
書店に買いに行った。
そこで、
偶然「ウィーン家族」という
タイトルの新刊本を見かけた。

本を買う時は
書評を読んで
買うことが多いのだが、
今回は
「ウィーン」という言葉に
引き寄せられて
買った。
衝動買いだ。

著者は「中島義道」、
1946年生まれ
初めて見る名前。
でも、肩書きには
哲学者とあった。

先日、哲学書を中心に
出している出版社を
経営している友人に
会ったので
中島義道の名前を出したら
知っていたので
その世界では
一応名前が通っている人物のようだ。

帯に「史上最悪の夫婦小説」と
あったが、
これほどひどい内容とは
思わなかった。

今回旅したウィーンの
知ってる地名や駅名が
出てきたので
最後まで読んでしまったが、
後味が悪く、
読まない方が良かったと思う。

こんな小説は
初めてだ。
皆さんには
お薦めできない。

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2011年4月 6日 (水)

高崎市に避難された方の様子が

今朝の朝日新聞の群馬版に
紹介された。

城山団地の県営住宅に
福島県(双葉町、波江町、南相馬市)から40人
避難されている。

県内では
水上、草津、東吾妻の山間地に
避難されていると
報じられていたが
地元高崎にも避難されて
いる方がいたことを初めて知った。

生活に大分不自由されて
いるようだ。
城山町の区長さんが
中心になって支援しているとのこと。
長期的な避難生活を
余儀なくされるようだから
長い目で支援を考えていく必要が
あるように思われる。

県に
「県震災被災者支援室」というのが
あることを知った。

高崎市にも
そのような支援体制が
できていると良いのだが・・・

避難者の要望が
市民にすぐに分かって
その要望に市民がすぐに応えることが
できるような
体制ができると良いのだが・・・

市でも、NPOでも良いから
そんなHPやブログを
立ち上げてくれないかなぁ・・・

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ウィーンの旅 その6 ザルツブルグで

ザルツブルグと言えば
モーツァルト。

モーツアルトは
この町で生まれた。

ザルツブルグの駅から
バスで旧市街地に直行した。

石の山を削ってできた町だった。

モーツアルトの生家の
前に全身を銀粉にまぶした
大男がいた。

モーツアルト像を演じて
観光客から
投げ銭をもらっていた。

生家の中は
ドイツ語と英語の案内だったので
良く分からなかった。

昼食はシュテルンブロイという
地ビールを醸造している
店でゆっくりビールを味わう。

モーツアルトの父が
亡くなった家が
博物館になっていた。
日本語の音声案内があり
モーツアルトの曲も聴くことができた。

モーツアルトが弾いた
チェンバロがあり、
彼が弾いたと思うと
なかなかそこから
離れられなかった。

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2011年4月 5日 (火)

A会の4月例会

高崎中央公民館では
4月中は大震災の影響で
夜間の使用はできない。

A会の例会は
毎月第3木曜日の19:00~
2時間。

そこで
4月の例会を
我が家ですることにした。

3月のテーマは
「役割」だったが、
3月は大震災でできなかったので
そのテーマで
することにした。




A会とは

高崎中央公民館を会場にしている
エッセイの会で
その名は
「真緋(あけ)の会」。
毎月1回テーマに沿った
エッセイを持ち寄って
会員同士で切磋琢磨している。
現在会員は10人弱。

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2011年4月 4日 (月)

群馬県総合公社ビルで

大震災チャリティーコンサートを
するのでホール借用の
申し込みに行った。

「7月2日に行うのに
申し込みの電話予約してから
1週間以内に使用料の支払いを済ませることと
規約にありますが
どうしてですか?」

係の人
「本契約をしないと
HPの予約案内に予約済の確かな書き込みが
できないからです」

「え!
普通、支払いはことが済んでから
行うのでは、ないでしょうか」

係の人
「今まで、この仕事をここで
長い間やって来ましたが
そのようなことを言う人は
いなかったです」

「それじゃあ、県の担当に
前払いを希望しない利用者がいたと
報告して下さい」

係の人
「そんなことは
わたしから言えません」

「そうですか。
それでは、わたしの方から
県のHPにでも問い合わせてみますよ」

ということで
1時間7000円、
9:00~17:00の8時間利用で
56000円を支払ってきた。

県に持って行って
押印してもらわないと
本契約書を渡せないので
後日、今日出した仮契約書と
交換しますとのこと。
窓口で決裁できないのだ。
県庁まで書類を運ばなければ
ならないなんて・・・


その他

「大震災のチャリティーなので
なにか申請すれば、使用料など
免除されるようなことはありますか?」

係の人
「今まで、いろいろなチャリティーが
実施されましたが、そういうことは
したことがありません」

「会場で、寄付行為はしてはいけないと
ありますが、
義捐金の箱を置くことは
できませんか?」

係の人
「寄付行為は禁止ですが、
大震災のチャリティーは初めてのことですから
県の担当に確認しておきます」

とこの点については
本契約書を
お渡しする時までに
聞いておくと約束してくれた。

4月1日から、
県から委託する形になったが
今までとほとんど同じように
対応しているように
感じられた。




ということで
県の企業局にメールを
書いた。
送信する前に
念のため
高崎市の文化会館やシティギャラリーの
使用規約を確認すると
みんな
3ヶ月前に使用料の支払いを
済ませることになっていた。

そういうことなのか!

そこで
企業局へのメールは
止めることにした。

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2011年4月 3日 (日)

ウィーンの旅 その5 ザルツブルグへ

3月18日は、全員(16人)でザルブルグへ
出かけた。
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ウィーンの西方、電車で3時間。
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電車の座席に寄りかかると
肩の上の部分辺りに
頭をよりかけるものがあった。

初め、それは固定されているように
見えた。
小さい子供には
合わないのではないかと
思っていた。
ところが少し
触れてみると
上下にスライドするようになっていた。

始発だったから
みんな同じ高さに
整えられていたのだ。
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6人1部屋に区切られていて
日本の寝台車のようだった。

相席していた地元の客が1人いたが
空になったボックスに移ったので、
2人でゆっくり
ザルツブルグに行くことができた。
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2011年4月 2日 (土)

居酒屋「けいこ」

今日はわたしの友人Sさんが
夕方来る日だ。
Sさんは
職場で音楽を教えている。
チャリティーコンサートで
どんな曲を取り上げたら
良いか相談ができる。

けいこさんの友人のIさんは
Sさんと高校が同期だ。
そして
Iさんも音楽に造詣が深い。
そこでIさんにも
来てもらうことにした。

17時から
居酒屋「けいこ」開店。

4人で音楽談義をしながら
Sさんとけいこさんはビール、
Iさんとわたしは焼酎。

SさんもIさんも
クラシックには強い。
好きなクラシックのCDを聴きながら
そして
飲みながら
相談した。

ソプラノの人に歌ってもらいたい歌、
ピアノで演奏してもらいたい曲、
チェロで弾いてもらいたい曲、
それぞれ出してもらった。

これらの曲を
第1回実行委員会に提案していこう。
また、演奏者の方が
演奏したい曲と合わせて
プログラムを編成していこうと思う。

酒が美味い。
音楽が良い。
話が面白い。

酔いが回った宵だった。

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2011年4月 1日 (金)

嬉しい知らせは

立川の居酒屋で
ランチの
石焼き海鮮丼という
熱い鍋が来て
もてあましている時だった。

賑やかな店だったので
入口に出て携帯のスイッチを
入れた。
「グルチンです。
7月2日はオーケーです。
どんな曲を演奏したら良いですか」

「演奏して頂けるのですか!
良かったぁ。
曲はこれから
実行委員会で相談したいと
思います。
ありがとうございます」

2日前、大震災チャリティーコンサートを
思い付き、
群響の第1チェリストの
グルチンさんに出演依頼の電話をした。

グルチンさんはその時、
札幌にいたので
高崎に帰ってから予定を見て
返事をするということになっていたのだ。

快諾の電話だった。
すぐにけいこさんにそのことを伝えた。

席に戻ると
石焼き海鮮丼が
ちょうど食べ頃になっていた。

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個展を見に立川へ

朝日洋上大学の仲間のTさんの
ご主人が立川で個展を開く。
そこで
4月1日
個展を一緒に見て、その後、
夕食を食べようという連絡があった。

時間はたっぷりあるので
八高線で行こうと思い
確認を取ると
高麗川辺りが復旧してないとのこと。
高崎線で行き、
新宿で中央線に乗り換えて
行くことにした。

湘南新宿ラインは
まだ動いていないので
大宮まで新幹線で行った。

立川駅は都会だった。
14時頃、立川駅近くの
居酒屋でランチを食べた。

個展は多摩信、
店の若者に場所を聴いた。
すぐに教えてくれた。

「そこで、知人が個展をしているんで
高崎から見に来たんだ」

「お客さんも絵を描くんですか?」

「わたしは、絵を描いていないんだ。
写真は好きで撮っているけど」

そう言ってナップサックから
ウィーンのアルバムを取り出して
「最近、ウィーンに行って来たんだ。
その時の写真だけど」
と彼に渡した。

「音楽の町ですよね」と
若者が言うので、
「そう、ウィンフィルを聴いて来たよ」

「それは良かったですね」

「指揮者がバレンボイムという
ピアノが上手い人だったんだ」
と言うと。

彼は
「え!バレンボイムですか。
CDで彼の演奏は良く聴いていますよ」
と言って、バレンボイムが小さく写っている
楽友協会のコンサートの写真を見つめていた。

わたしは
「多摩信の個展、
時間があったら見に行ってよ」
と言って店を出た。
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クラシック好きには
バレンボイムは
相当知られていることが
分かった。

会場は多摩信の9階だった。
仲間が集まる時刻は
16時だった。
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Tさん夫妻と話したり、
絵を見たりする時間が
たっぷりあった。

今回は
若い頃の作品から
最近のベトナムのワロン湾の作品までを
展示していた。

風景が中心で
人物は
息子さんと娘さんを描いた2枚だけだった。

ワロン湾の作品は
それまでとは異なり、
新しい表現を試みているように
思われた。
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17時に展示場を出て
立川駅南側のワインの
美味しい店に行った。

メンバーは7人だった。
イタリアンを食べながら
多いに語り合った。

高崎に着いたのは
23時頃だった。

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