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2012年9月14日 (金)

首塚

高崎五万石騒動研究会では

今年の城趾公民館の文化祭で

「一揆の伝承」をテーマにして発表する予定だ。

その一つとして

高崎市下小鳥町に伝わってきた悲惨な事件を取り上げる。

江戸時代初期高崎藩の検見の役人(武士)が

下小鳥の農民に酷い仕打ちをしたので

それに怒った下小鳥の青年たちがその役人を殺傷してしまった。

そこで高崎藩は

安中藩の支援を得て

次の年の元和3年(1617年)正月4日、下小鳥村の全員を殺傷した。

村民の首をまとめて埋葬した場所が

首塚という。

その場所に明治34年(1901年)に建てられた石碑があるので

現地に自転車で行って確認することにした。

下小鳥町の北部環状線沿線に

首塚入口という標識が立っていた。
Dsc_0001

路地を10メートル入ったところに

石碑と解説板があった。

Dsc_0005

そこだけ50㎝くらい高くして囲われていた。

立派な石碑であった。

Dsc_0007

Dsc_0011

Dsc_0015

郷倉のあったところ

Dsc_0029

郷倉橋のあったところ

Dsc_0033 

この事件に関しては

迷道院高崎さんが群ブロの「隠居の思ひつ記」で

詳しく報告しているので

興味ある方はそちらをどうぞ。

「隠居の思ひつ記」

http://inkyo.gunmablog.net/c7428.html

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コメント

いちじんさん、首塚のリンクありがとうございました。
謎の多い首塚ですが、ご存知ない方も多いので、
五万石騒動研究会で取り上げて頂けると、
広まっていくと思います。
よろしくお願い致します!

投稿: 迷道院高崎 | 2012年9月16日 (日) 18:50

首塚を訪ねるのに迷道院高崎さんの
詳細な記述と画像があったので
道に迷わず行くことができました。
多謝。
でも、
郷倉があった場所、
西方から撮ったことに気付くまで
とても時間がかかりました。
郷倉橋には行きましたが
川あるいは溝がどこにあったのか不明でした。

投稿: いちじん | 2012年9月17日 (月) 06:29

おはようございます、いちじん様。

環状線を走行中、首塚の道標を目にした事がありました。気になっておりましたが、酸鼻極まる口伝が残されていたんですねぇ。

高崎五万石騒動は、当時の状況を知ると理解が深まると思いますが、「廃藩置県」前の状況に無知な私は、いまひとつ理解に欠ける憾みがあります。
また、「義務教育」以前の文章や書体は難解で、ほとほと困ります。すらすら読め、理解できる力があると良いのですが、短い碑文すら読解出来ないアタマでヨタヨタ歩いております。

投稿: 鶴 | 2012年10月23日 (火) 08:22

10月27日28日と高崎市城址公民館の
文化祭において
高崎五万石騒動研究会では
「一揆の伝承」というテーマで発表します。
「首塚」もその一つとして
紹介します。
お忙しいこととは存じますが
是非お出かけください。

投稿: いちじん | 2012年10月23日 (火) 09:49

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