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2012年11月30日 (金)

ダイエット作戦実施中

11月の6日~20日は

エベレスト街道へ行ったので

計測できなかった。

帰った時(20日)量ったら

71㎏台だったが、

20日起床時 70.7㎏(最低記録)

20日就寝時 71.5㎏

日に日に、みるみる上昇して

30日起床時 72.1㎏

30日就寝時 73.5㎏

になってしまった。

11月の目標は72㎏だから

まあまあクリアか。

けいこさんがこれ以上減らすと

病人みたいに見られるから

ここで減量は止めてと言うので

来月12月の目標は

72㎏を維持することにした。

今年の正月の体重が86㎏だったのだから

14㎏の減量だ。

14㎏の重さは大変なものだ。

よく、ここまで落とせたものだと自分でも

不思議に思う。

このまま60㎏台に突入したら

ダイエット病だ。

72㎏を今後維持することが

わたしの課題だ。

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本屋で

月末なので

来月のテキストを買いに行った。

「基礎英語3」12月号

 現代高校生の学園生活で、レベルはいちじん向き

「英語で歩く大自然!山ガールカナダの旅」12月号

 カナディアンロッキーのトレッキングで、レベルはけいこさん向き

「ラジオ深夜便」12月号

 9月に放送した「明日へのことば」が良いと

 洋大のNさんの薦めで買った。

「手帳」2013年版

 毎年同じ出版社の手帳を買っているが

 今年は少し縦長のものにした。

「拉致と決断」蓮池薫著 新潮社

 「はじめに」の 

 ・・・かの地の民衆について、日本の多くの人たちに知ってほしいという

 気持ちもあった。・・・

 という文章を立ち読みしたら、買わずにいられなくなった。

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2012年11月29日 (木)

野平一郎ピアノリサイタル

高崎五夜シリーズ 第四夜

ワルトシュタインが聴きたくて

出かけた。

会場 高崎市シティーギャラリー コアホール

出演 野平一郎

開演 19:00

プログラム  

  ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

ピアノソナタ 第7番 ニ長調 Op.10-3

ピアノソナタ 第21番 ハ長調 「ワルトシュタイン」 Op.53

アンダンテ・ファヴォリ WoO.57

休憩

パガテル「エリーゼのために」 WoO.59

ピアノソナタ 第23番 へ短調 Op.57  「熱情」

アンコール

2曲

ワルトシュタインも熱情も

力強く、見事な演奏だった。

「アンダンテ・ファヴォリ」と「エリーゼのために」は

楽譜を見て

確実に弾いていた。

けいこさん曰く

「あまり、演奏する機会が無いからかしら・・・」

アンコールに応えて

2曲も演奏した。

終演後

CDを買って、2番目にサインをしてもらった。

CD「ソナタ15.19.20.21.アンダンテ・ファヴォリ」

21番が「ワルトシュタイン」

現役時代の職場5のSさんご夫妻が

遠方から聴きに来たので

一緒に聴いた。

Sさんは若い頃「ワルトシュタイン」を弾いたことがある。

そのSさんが「とても良かった」と言っていた。

そのSさんから、お土産を頂いてしまった。

Sさんに感謝。

野平一郎HP

http://ichironodaira.com/j/profile.html

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2012年11月28日 (水)

Hさんの通夜のお手伝い

通夜の開始1時間前に

会場に着いた。

Hさんの子2がわたしの所に来て

昨日頂いた写真を祭壇に飾ったので

見てくださいと言う。

祭壇の前に行くと

Hさんが笑顔で話している横向きの写真(L版)が

立っていた。

もっと大きな版にしておけば

良かったと思った。

あまり写真を撮っていなかったので

わたしが撮ったのが

最後の写真とのこと。

わたしは「一般・親戚」の受付をした。

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定期通院

血液検査の結果を見て

ドクターは

「今月から2ヶ月分の薬を出しましょう」

と言った。

標準値をオーバーしていた項目が

先月は5個だったのが

今月は3個になった。

しかも、その中の1個は基準が以前より厳しくなったので

そんなに気にしなくても良いとのこと。

そして

「14㎏の減量で病状が改善したので

いよいよわたしの症例集にデビューですね。

タイトルはどうしましょうか?」

と言った。

わたしは

「『トレッキングダイエットによる

メタボからの脱出』なんてどうですか」

と答えた。

その後、エベレスト街道で撮った写真を

数枚見てもらった。

次回の予約は1月30日だ。

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幸せをもとめて 練習第14回

14:00~15:00

S1さんが振り付けた踊りを

持って行った羽織をシャツの上に

文字通り羽織って

練習した。

初めは歌を口ずさみながら

動きを教わった。

次にテープレコーダーで歌を流して

踊った。

大まかな動きで一通り踊れるようになった。

二人に見てもらったら

どうにか見られると言ってもらえたが・・・

次回、演出に見てもらって

踊りを更に詰めていきたい。

二グループのダンスを

S2さんが振り付けた。

そのダンスの踊り方が分かるようにビデオ撮りをした。

それぞれ前からと後から撮った。

S2さんは合わせて4回、みんなの前で踊った。

笑顔で堂々と自分で振り付けたダンスを踊った。

見事だった。

2場の半立ち稽古をやった。

後半、欠席者の代役をちょっとやった。

休憩時間に衣装の羽織を

演出に見せた。

他のもあるなら見せて欲しいということなので

来週見てもらうことにして

16:20に中途退出(通夜のお手伝い)した。

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2012年11月27日 (火)

訃報

隣保班のHさんが亡くなった。

わたしより1歳若いのに・・・

以前は我が家の直ぐ裏だったので、小学校の頃はよく遊んだ。

魚取りをしたり、

野球をしたり、

獅子舞の練習をしたり・・・

中学校になると

お互いに部活が忙しくなり

遊ばなくなった。

高校は違ったのでそれ以来

会う機会はほとんど無かった。

子3がHさんの子2と小学校が同学年だったので

小学校の頃は二人はよく遊んだ。

でも、中学校になるとあまり遊ばなくなったようだ。

昨日の午前中、Hさんはすぐ前にある子2の庭の手入れを

手伝っていたそうだが

午後、突然倒れたそうだ。

救急医療班が駆けつけたが

助からなかったそうだ。

63歳だった。

今年の9月16日に

獅子舞の獅子頭や衣装の虫干しがあった。

その時撮った画像を確認したら

Hさんが笑顔で話している姿があったので

プリントして、Hさんの母上に渡した。

合掌

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2012年11月26日 (月)

そばつくり講習会

大類公民館主催のそばつくり講習会に参加した。

講師 「みたてそば」店主

時間 9:00~12:30

蕎麦粉 480g 北海道産

小麦粉 120g

水    290cc

二八蕎麦だった。

先生は40年の蕎麦打ち経験で培った

自分の流儀で教えてくれた。

①水廻し

水を一度に粉の真ん中に入れる方法だった。

水が粉に浸透するのを待ってから(30数えた)

左手で鉢を押さえ、右手でかき回した。

②練り

両手で外から内側にまわす仕方が

なかなか難しかった。

③伸し

伸し棒に巻いたのを5回の押し引きして

上下を替えた。

それを2回繰り返して次の行程に移った。

丸く伸せず、先生に最後は伸してもらった。

④たたみ

打ち粉を刷毛で十分付けてから3回折って

打ち粉を厚く敷いたまな板に載せた。

⑤切り

左手を狐の形にして独楽板の上に置いて

切った。細く切れた。

⑥茹で方

それぞれが1人分の蕎麦を茹でた。

パラパラと入れて菜箸で8の字に1回かき回して

1分茹でた。

揚げた蕎麦に水を掛けてから水に晒した。

茹でたての蕎麦を先生の作った汁で食べた。

美味だった。

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2012年11月25日 (日)

白菜漬け

この秋、2回目だ。

白菜は国府産で2株。

塩は3パーセント。

(この数字を今回も忘れてしまい、けいこさんにネットで確かめてもらった)

昆布と鷹の爪を少々。

今回は半日干して漬けた。

干したので水が上がるのがいつもより遅くなるだろう。

水分が蒸発した分、塩分濃度も少し高くなるだろう。

水が上がるのを注意していこう。

重しに3個の石を重ねたので、石の動きにも

注意していこう。

漬け上がるのが待ち遠しい。

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エベレスト街道2012 (6)幸せ感(労働と食事)

ブータンは幸せ感、世界一と言われている。

幸せって何だろうか?

エベレスト街道を歩いていて考えた。

人々は豊かではない。

狭い畑を耕して作物を育てて生きている。

仕事として一番目に付くのが運搬の仕事だ。

急な坂道を重い荷物を運ぶ。

ゾッキョやヤクを使って。

ロバやウシを使って。

そして、直接人力で。

人は60㎏、90㎏の荷物を背負って黙々と運んでいた。

大変な仕事だ。

そこで、思った。

体力の限界に近い仕事をした後の食事は

美味いだろう。

夜、寝る時は床につけば直ぐに

ぐっすり眠ることができるだろう。

その時感じる満足感は深いものだ。

わたしたちは

常に食が足りていて、食事の時間が来たからと言って

食べている。

乗り物を使って、電気器具を使って

なるべく身体を動かさないで生活をしている。

わたしたちは

本当の疲労を体感することはほとんどない。

だから、食事の真の美味しさや休息での真の安らぎを

感じることなく日々を送っているのだ。

エベレスト街道で働く人は

安い賃金で重労働をしながら

わたしたちより貧しい生活を送っているが

日々の食事の美味しさや

安らかな睡眠の満足度は

わたしたちよりずっと高いに違いない。

満足度は経済力や便利さでは計れない。

今回、エベレスト街道を歩いて

貧しい中でも満足感を味わって生きている人々が

いることを知った。

満足感を幸せ感と置き換えれば

ブータンの幸せ感世界1が理解できる。

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牛ヒレのパイ包み焼き

我が家でちいさな祝い事があった。

郊外のレストランで会食会。

そこで最後に出たのが

牛肉の料理だった。

軟らかくてレアのようだった。

初めての感触、初めての味わいだった。

肉を食べないけいこさんの分まで

わたしは食べたが

子1は気持ちが悪いと言って

ほとんど残してしまった。

そして、会食後

あのステーキはイタダケ無かったと

子1がもらした。

そこで、次の日レストランに料理の説明を聴くことにした。

牛ヒレのパイ包み焼き」と言って

調理するのに技術がいる料理とのこと。

http://www.kyounoryouri.jp/recipe/6761_%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%95%E3%81%AE%E7%89%9B%E8%82%89%E3%81%AE%E5%8C%85%E3%81%BF%E7%84%BC%E3%81%8D.html

この説明を料理を運んできた時に

言ってもらえれば良かった。

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2012年11月24日 (土)

群響 第486回定期演奏会

前回は二人して演奏日を忘れて

聴けなかった。

今回は忘れず、聴きに行った。

群響のHPより

三善  晃/ オーケストラのための「ノエシス」

ブラームス/ ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77

         ヴァイオリン:前橋 汀子

エルガー/ 創作主題による変奏曲「エニグマ」作品36

指揮者 川瀬賢太郎

1984年東京生まれ。

私立八王子高等学校芸術コースを経て、

2007年東京音楽大学音楽学部音楽学科作曲指揮専攻(指揮)を卒業。以下略

三善の「ノエシス」は音楽と言うより音の饗宴だった。

様々な打楽器を取り入れた努力は評価するが

旋律のない音の世界で奇をてらっただけだった。

ブラームスのヴァイオリン協奏曲は

前橋が豊かなテクニックで群響とやり合った。

アンコールに応えて静かな曲を演奏したが

素晴らしかった。

エルガーの「エニグマ」は緩急、動静、の音楽で

最後まで飽きさせない曲だった。

指揮者 川瀬賢太郎は若干28歳。

細い身体で堂々と群響を操作しきっていた。

今後の活躍が楽しみだ。

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エベレスト街道2012 (5)ヤクとゾッキョ

エベレスト街道を歩いていると

荷役の動物たちに出会う。

ヤクはウシに似ているが、腰の辺りの毛が長く角も立派だ。

ゾッキョはウシとヤクを掛け合わせで性格が温和しく黙々と歩いていた。

ルクラからナムチェまでの間は

ゾッキョがほとんどだった。

ナムチェから上では寒さに強いヤクが多かった。

その他、ロバに時々出会った。

ウマは疲れて歩けなくなったり、怪我をした人を運ぶようだ。

ナムチェからの帰り道に日本人を乗せたウマが追い越して行った。

下り坂なので振り落とされないようにしっかり鞍に掴まっていた。

エベレスト街道はこれらの動物が落とす糞があちこちにあるので

注意しながら歩かなければならない。

糞が特に多いのが急な坂道だ。

ゾッキョやヤクが重い荷物を積んで坂道を登る時に

出てしまうようだ。

「踏んばる」の語源は

もしかしたら「糞ばる」からきたのではないかと思いたいくらいだ。

何しろ急な坂道には糞が多かった。

糞と言えば村民は

これらの糞を上手く利用している。

大きな岩に糞ハンバーグが沢山貼りつけてあった。

乾くと自然に落ちてしまうようだ。

乾燥した糞ハンバーグは手頃な燃料になるのだろう。

わたしたちの泊まったロッジでは使っていなかったが

村民はこれを日常的に燃料として利用しているようだ。

プンキテンガと

クムジュン村でこの糞ハンバーグを見かけた。

写真には撮ったが

さすがに手に取ってみることはできなかった。

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2012年11月23日 (金)

トモロ祭

観音山の西方、少林山の南方

鼻高展望の花の丘にある「トモロの森」の

トモロ祭に孫1と親戚のHさんの2人を連れて

けいこさんと行った。

エレキ演奏

ミニブタレース

物品販売では

餅米、シイタケ(袋に詰め放題)、黒豆(煮)を買った。

食べ物では

芋煮、ヤキソバ、おにぎり、ずんだ団子、味噌おでん、大学芋、フランクフルトを食べた。

飲み物では

ハーブ茶、オレンジジュース、コーヒーを飲んだ。

懐かしい人に出会った。

2番目の職場のTさん。

4番目の職場のHさん。Oさん。

5番目の職場のOさん。

トモロの森の理事長さん。

高校が同学年のM君。

久しぶりに会ったので

名前が直ぐに思い浮かばなくて・・・

話しているうちに思い出したり

どうしても思い出せなくて聞いたりして

情報交換をした。

いちじん歩けば人に出会う

1日だった。

トモロの森

http://www.pref.gunma.jp/02/d4210262.html 

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エベレスト街道2012 (4)高度4150m

6日目

プンキテンガ(3250m)のロッジから

キャンズマへ戻ることにした。

キャンズマの手前にゴーキョへ行く分かれ道があった。

ガイドがその道を登ってモン・ラへ行くことを

勧めてくれた。

けいこさんが行けそうだというので

モン・ラへ向かった。

道は狭く急登だった。

しばらく登ると少し緩やかになった。

純白のアマダブラムを右前方に見ながら坂道を

辿った。

カラパタールへの街道より

トレッカーが少なく静かに登れた。

時折、荷役の数頭のヤクがわたしたちを追い抜いて行った。

モン・ラの村が前方に見えたが

なかなか近づかなかった。

右手の中腹にタンボジェが見えた。

一歩一歩高度をあげた。

漸くモン・ラの村に着いた。

ガイドの馴染みの店に入って昼食を食べた。

この店の看板に高度が3973mとあった。

その後、ガイドの後について

人家の裏手にある斜面を登って行った。

しばらく登って行くと

50㎝ほどのケルンが幾つか積んである所に着いた。

ガイドがここが4150mの地点だと教えてくれた。

4150m 高度新記録だ。(altitudo 4150m)

モン・ラの村を下方にして記念写真を撮った。

その辺りには

エーデルワイスに似た花が寒風に揺れていた。

乾燥してカラカラであったが

花弁はしっかりしていた。

雲が増えてきて、風も冷たくなったので

直ぐにモン・ラの村に降りた。

そして来た道を戻った。

途中から雪が降り出した。

下り坂だったので

雪もあまり苦にはならなかった。

その夜は、キャンツマのロッジに泊まった。

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2012年11月22日 (木)

my dairy

We returned from Nepal to Takasaki the day before yesterday.

We saw Mt Everest from a hill in Namche.

It was a fine day, we could see Mt Everest.

There were many Japanese who took photos of the view.

Our photo was taken by our guide.

Our guide's name was Rum K. C.

He was funny.

We stayed in his house on the last day.

He had two daughters.

One was three years old.

The other daughter was two years old.

They were very cute.

His house was a two-storied-house.

We slept on the second floor.(英国 first floor)

We walked near his house.

We bought three wool caps.

We gave the cap to our grand-child.

She was very pleased.

今回のトレッキング(trekking)で、

一番高度 (altitude=4150m) が高かったモン・ラでの画像と

出会った鳥の画像を

プリントしておいた。

その写真を見ながら説明した。

乾燥していて毎日手にクリームをぬった。

put cleam on my hands

今日、一番印象に残った言葉

practice makes perfect

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エベレスト街道2012 (3)ネパールの国鳥ダフェ

ネパールの鳥図鑑の表紙は

ダフェだ。

「地球の歩き方」にはクムジュン村で

観察できるとあった。

ガイドのラムさんに今回はダフェが見たいと

念を押して頼んだのだった。

ラムさんのお陰で今回の旅で

ダフェに5回遭遇することができた。

第1回(3日目パクディン→ナムチェ)

夕方、ナムチェ村の入口にさしかかった時だった。

ラムさんがダフェがいると言う。

ナムチェに向かって左側の斜面の畑に

ダフェが数羽いた。

手前の畑にはロバが放牧されていた。

暗くなりかけていたので羽に光沢は無かった。

近くに行きましょうとラムさんは

ロバの中を進んだ。

蹴られては大変なことになると思ったが

温和しくしていたのでロバの間を抜けてダフェに

近づいた。

Dsc_0883

Dsc_0909

Dsc_0939

Dsc_0956

すると2羽が下の森の方へ飛んで行った。

キジのように滑空していた。

ラムさんが土地の人に聞いたところに寄ると、

この時間帯はオスだけが餌場に来るそうだ。

メスはもっと早い時刻に来るそうだ。

畑に落ちているものを

食べているようだった。

第2回(5日目ナムチェ→プンキタンガ)

朝、ナムチェからエベレスト街道を北に向かって

歩き出して直ぐの所だった。

ラムさんがダフェがいると教えてくれた。

南側斜面の下の方に数羽のダフェがいた。

畑の境界は1m程の石垣が積んである。

その影になっている所で

数羽のダフェがのんびりと餌を食べていた。

遠くて逆光だったので

ダフェの姿を撮るのは

難解だった。

第3回(6日目プンキテンガ→モン・ラ→キャンズマ)

モン・ラの帰りに雪が降り始めた。

キャンズマのロッジに着いた頃には

一面が白くなっていた。

見晴らしの良い部屋で寛いでいると

ラムさんが直ぐ下の畑にダフェがいると教えてくれた。

雪の中でダフェが餌を探していた。

ダフェが餌探しをしたところは雪が消えて

黒くなっていた。

やはり、オスばかりで

メスは見られなかった。

第4回(6日目キャンズマの早朝)

エベレスト街道をナムチェ方面に10分ばかり降りると

エベレストが見られるというので

そこまで出かけた。

エベレストを眺めてロッジに戻って来る途中、

人家の近くにダフェがいた。

昨夕、ロッジの下の畑に来たダフェだったのだろうか?

第5回(6日目キャンズマ→クムジュン→シャンボチェ)

朝、キャンズマのロッジを出てクムジュン村に向かった。

わたしたちが歩いているだけだった。

しばらくするとラムさんが叫んだ。

「国鳥がいます」

石垣の近くにダフェがいた。

順光の中でダフェの羽が輝いていた。

おおきな輝きだった。

反対側の日陰いたダフェのオスが声をあげた。

20分くらい鳴き続けた。

ラムさんはネコからヒナを守るために

鳴いているのだろうと言った。

日向のダフェは日陰のダフェが鳴き止むまで

じっとして動かなかった。

ダフェの声が聞こえなくなると

順光の中のダフェがまた動き出した。

よく見たらその向こうにメスのダフェがいた。

けいこさんが幼鳥も見えると言った。

この場所でゆっくりダフェ三昧に浸った。

その後行ったシャンボチェの村では

ダフェを見ることはなかった。

ラムさんが

「以前はシャンボチェでも見かけたが、最近はいません」と言った。

ガイドブック「地球の歩き方」の情報は

少し古かったようだ。

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エベレスト街道2012 (2)最初のエベレスト

ガイドブック「地球の歩き方」には

最初にエベレストが見えるのは

ジョサレからナムチェに登る時とある。

しかし、わたしたちがそこを登ったのは

3日目の午後だったので雲があって

エベレストを眺めることはできなかった。

次に見ることができる所は

ナムチェの国立公園オフィスの丘とある。

4日目の早朝

ロッジからオフィスの丘へ行った。

Dsc_0028

Dsc_0032

日本から写真を撮りに来ていたグループが

丘の中央に陣取って撮影していた。

Dsc_0129

わたしたちは少し下の方から

エベレストを眺めた。

最初のエベレストだ。

この山容を見たくて来たのだ。

Dsc_0058

右側がローツェだ。

Dsc_0065

霜が降り、寒かったが

夢中で撮った。

Dsc_0112

帰りに日本人の若い夫婦に会った。

仕事を辞めて

自転車で世界旅行をしているというので

話を聞いた。

Dsc_0142

インドからカトマンドゥに来て

カトマンドゥに自転車を置いて

ナムチェに来て

これからカラパタールへ行くとのこと。

アジアを回ったら

南米へも行くそうだ。

ブログにその様子をアップするというので

その名前を聞いて別れた。

「えうろぱっ」

http://kakigatabetai.sblo.jp/category/1912667-1.html

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2012年11月21日 (水)

幸せをもとめて 練習第13回

第11回、第12回はネパール旅行のため欠席した。

久しぶりの練習だった。

ラジオ体操第2をした後

発声練習、調音練習をした。

今日は、半立ち稽古だった。

片手に台本を持ち、1場をやった。

わたしの役は、劇団員なので

大袈裟に振る舞うようにと言われた。

コミック演劇なので

笑いが取れるように演じなければならない。

これは難しい。

自然な動きをすること。

むやみに動かない。

コーラスグループが歌うように並ばない。

休憩

演出から舞台の原案説明があった。

ほぼイメージが掴めた。

その後、また1場の立ち稽古をした。

細かい動きの指示があった。

動いてからセリフを言う。

動きながらセリフを言う。

これはセリフが入っていなければ

練習にならない。

来週までにセリフを自分のものに

しようと思った。

文化会館の市民演劇担当から

今回のチケットの販売方法の説明があった。

今年は座席指定販売だそうだ。

600席弱。

果たして完売になるか?

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エベレスト街道2012 (1)ヤツガシラ

3日目(パクディン→モンジョ→ナムチェ)の午前11時頃だった。

歩き疲れて

モンジョの村(2835m)に入った。

Dsc_0554

ラムさん(ガイド)が進行方向右手の休憩する店に入ったので

後から付いて行った。

店の外にテーブルと椅子が数組あったのでそこに腰を降ろして、

リュックを外そうとした時だった。

南に広がる芝生の庭に鳥影。

芝生を突いている。

芝と同じ色で判りにくい。

Dsc_0557

Dsc_0581 

目を凝らすとヤツガシラだった。

距離は10メートルくらいしか無かった。

客はわたしたち3人だけだった。

逆光だったので、南側に回った。

Dsc_0583

しばらくすると砂浴びをした。

Dsc_0603 

ヤツガシラは土の中に嘴を叩くように挿し込んで

何やら食べていた。

Dsc_0619

わたしはタゲリが地中のミミズをつまんで食べていたの

写真に撮ったことがあったので

ミミズを食べているのだろうと思った。

Dsc_0621

ところが後で画像を見たら、ミミズではなかった。

白い昆虫の幼虫のようだった。

銜えてから飲み込むまで

40秒だった。

Dsc_0624

Dsc_0625

人の気配をあまり気にしない個体だった。

驚いたり怒ったりすると冠羽を広げるが

一度も冠羽を広げることが無かった。

Dsc_0667_2

20分くらいゆっくり観察できた。

店の女性の話によると

この場所に2~3羽来るそうだ。

しばらくするといなくなるだろう。

来る年と来ない年があるようだ。

土地の人はヤツガシラにほとんど

興味を持たないようだった。

Dsc_0732

興奮醒めやらぬいちじん。

ここ個体は

建物の向こう側の木立に住処を持っている様に

思われた。

8日目(シャンボチェ→ナムチェ→モンジョ→パクディン)

帰り道の楽しみは

モンジョのあの店に

ヤツガシラがいるかどうか確かめることだった。

ところが

帰りにその店に寄ると

日本の団体客(山岳写真撮影トレック)が入っていた。

しかもコック付きの団体で

コックたちが庭の反対側で調理をしていた。

店と調理場の間の庭(ヤツガシラの餌場)は

人が行き交いしている。

これではヤツガシラの来る余地は無い。

半ば諦めて庭を見ていた。

するとどうだろう。

あのヤツガシラが庭の隅の方で

人を避けながら土を突いていた。

人が近くを通ると飛び立ち

塀の上に留まったり、

道を越えて畑の方へ行ったりしていた。

最後は店の屋根を越えて

北東のこんもりした木立の方へ飛んで行った。

そこに巣あるいは塒があるように思われた。

今回のトレックでヤツガシラを見たのは

このモンジョのこの店だけだった。

ラムさんがこの店に入らなければ

ヤツガシラとは出会えなかったのだ。

ラムさん

Thank you.

ダンニャバード

(後日、ヤツガシラの画像をアップします)

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2012年11月20日 (火)

エベレスト街道 第14日

予定

成田 6:15着

現実

高崎の自宅に11:30着。

ほぼ予定通り(1部変更もあったが)エベレスト街道の旅に

行ってくることができた。

これからは画像とその印象を少しずつアップしていきたい。

今日は、荷物の整理と衣類の洗濯をした。

2週間振りに洗濯をして

さっぱりした。

その後

カトマンズのタメル地区で

3人の孫たちに買った毛糸の帽子を

持って行った。

孫1は予想以上に気に入ってくれ、

明日保育園に被っていくと言う。

みんなに何て言うのと聞くと

「おじいちゃんがネパールで買って来てくれた

ぼうしだよ」と

5歳の孫1が言ったのには

驚いた。

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2012年11月19日 (月)

エベレスト街道 第13日

予定

カトマンズ 13:50発→

バンコク 18:25着

飛行時間 3時間20分

バンコク 22:35発→

成田 20日 6:15着

飛行時間 5時間40分

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2012年11月18日 (日)

エベレスト街道 第12日

予定

フライト予備日

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2012年11月17日 (土)

エベレスト街道 第11日

予定

フライト予備日

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2012年11月16日 (金)

エベレスト街道 第10日

予定

ルクラ(2840m)→カトマンズ空港

宿泊地 カトマンズ

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2012年11月15日 (木)

エベレスト街道 第9日

予定

モンジョ(2835m)→ ルクラ(2840m)

歩行時間 約5時間

宿泊地 ルクラ

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2012年11月14日 (水)

エベレスト街道 第8日

予定

シャンボチェ(3720m) 展望を楽しむ。

→ ナムチェ → モンジョ

歩行時間 約3時間

宿泊地 モンジョ

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2012年11月13日 (火)

エベレスト街道 第7日

予定

タンボジェ(3860m)→ クムジュン

→ シャンボチェ(3720m)

歩行時間 約6時間

クムジュン村付近は

ネパールの国鳥「ダフェ」が生息する。

タイミング良ければ会うことができるだろう。

北側の寺院にはイエティ(雪男)の頭部と信じられている

茶色の頭髪がスチール製の戸棚にある。

クムジュンからシャンボチェに降りる途中に

ホテル「エベレスト・ビュー」がある。

その道の一本西側の山道には

ヒラリー卿が建てた学校がある。

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2012年11月12日 (月)

エベレスト街道 第6日

予定

キャンズマ(3550m)→ プンキタンガ(3250m)

→ タンボチェ(3860m)

歩行時間 約4時間

今回の目的地

プンキタンガからタンボチェの高度差が600m

ガイド本によるとここで高山病になる人が多い。

ここは、ルクラとカラパタールの中間地点だ。

調子が良ければ

もう少し登りたい。

調子が悪ければ(高山病の症状が出たら)

タンボチェを諦め、ナムチェに戻る。

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2012年11月11日 (日)

エベレスト街道 第5日

予定

ナムチェ(3440m)でゆっくり過ごす。

→ キャンズマ(3550m)

歩行時間 約2時間

宿泊地 キャンズマ

ここで高度順応をする。

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2012年11月10日 (土)

エベレスト街道 第4日

予定

モンジョ or ジョサレ → ナムチェ(3440m)

歩行 約3時間30分

宿泊地 ナムチェ

予定通りに着けば、ナムチェバザールを見学できる。

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2012年11月 9日 (金)

エベレスト街道 第3日

予定

パクディン(2610m)→モンジョ or ジョサレ

歩行 約4時間

宿泊地

モンジョ

体調が良ければ ジョサレ

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2012年11月 8日 (木)

エベレスト街道 第2日

予定

カトマンズ空港→ルクラ空港(2840m)

ルクラ(2840m)→パクディン(2610m)

歩行 3時間

宿泊地 パクディン

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2012年11月 7日 (水)

エベレスト街道 第1日

予定

羽田 深夜 00:20発

バンコク 5:20着

フライト 7時間

バンコク 10:30発 

カトマンズ 12:45着

フライト 3時間30分

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2012年11月 6日 (火)

近藤亨氏の仕事

数年前

ラジオ深夜便で近藤亨氏の生き方を知った。

その後、前橋で彼の講演を聴き

ネパールのムスタンに行きたくなった。

4年前、「ネパールを知ろう」と言う旅行社のツアーに参加した。

旅行社は近藤氏の活躍の情報を

残念なことに持っていなかった。

近藤氏に会うことを諦めて

出かけた。

ジョムソン空港を降りて

茶店で出発を待っている時だった。

ジョムソンの町の上の方から白馬に跨った白髭の

近藤氏が降りてきた。

(わたしの髭は近藤氏を真似たもの)

握手をして再会を喜んだ。

その後、りんご園の剪定を指導している近藤氏の姿を見た。

そのときの記録(by Keiko)

http://www.geocities.jp/tisanakagayaki/tabisaki.2009.12.nepal.htm

今回、ネパールに行くに当たって

「近藤亨」氏を検索したら

テレビで近藤氏が紹介されていた。

ご覧下さい。

http://www.youtube.com/watch?v=gXx7m0pjHUE

今夜、ネパールに出発。

20日帰国。

この間ブログのアップは

お休みします。

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2012年11月 5日 (月)

片付け

午前中、ゴーヤのグリーンカーテンを

片付けた。

網に絡んだ蔓を外すのが大変だった。

取った蔓はゴミ袋に3杯あった。

午後、外出から帰ってくると

義母が収穫してあったゴーヤで

自慢の佃煮を作ったほかに

Hさんから頂いたサツマイモを

蒸かしておいてくれていた。

Dsc_0011

Dsc_0012

早速、味見。

サツマイモに

意外とこのゴーヤの佃煮が

マッチした。

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「松下竜一の青春」を読み始めて その7(95~100)

95ページ14行目に

現象学のことが出て来る。

そこに

・・・表象とはわたしの表象である。・・・

と言う表現がある。

これは新木さんの文であるが、

読んでいて引っかかった。

しっくりしない。

そこで考えた。

もしかしたら

・・・現象とはわたしの表象である。・・・

とした方が良いのではないかと思うのだが・・・

多分、

わたしの思い違いでしょうが。

さて、ここでの大事なところは

松下さんの場合、生きることと文学することは

同義であった。

だと思う。

松下さんは

事柄を客観的に表現するのではなく

事柄に対して自分はどう関わっているのかを

表現した人のようだ。

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2012年11月 4日 (日)

ちょっと早めのクリスマスコンサート

会場 ガトーフェスタ ハラダ本社 (高崎市新町)

時間 18:30~

プログラム

泉良平 バリトン

北原正恵 ソプラノ

中島章恵 ピアニスト

オペラの一部を二人で歌う楽しいコンサートだった。

モーツアルトの「フィガロの結婚」より、「ドンジョバンニ」より

ジョルダーノの「アンドレア・シェニエ」より

プッチーニの「ラ・ボエーム」より

ワーグナーの「タンホイザー」より

二人が歌う前に

面白くて解りやすい解説を入れてくれたので

想像しながら聴くことができた。

泉さんが

オペラを面白おかしく紹介している青島広志氏の影響を

多分に受けているように感じられた。

北原正恵さんには

第5回星見亭コンサートで歌ってもらったので

終了後出口で挨拶した。

来年、安中で泉さんと組んで公演するようだ。

今後の活躍が期待できる歌い手だ。

お土産付きだった。

もちろん「ラスク」。

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群響特別演奏会

会場 群馬県民会館

時間 14:30~

プログラム

1 チャイコフスキー アンダンテ・カンタービレ

2 チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 二長調 作品35

3 ラフマニノフ    ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18

指揮      現田茂夫

ヴァイオリン  川久保賜紀

ピアノ      清水和音

川久保のヴァイオリンは見事だった。

知っている旋律が奏でられるのを

聴くのは気持ち良いものだ。

ちょっと眠ってしまったようだ。

清水和音の演奏は迫力があり

聴き応えがあった。

居眠りはしなかった。

ラフマニノフのピアノ協奏曲は初めてだったが、

力強く激しい男っぽい曲に聞こえた。

開演20分に行くと県民会館の駐車場は満杯。

離れた市営駐車場へ回された。

急ぎ足で会場に向かい、中に入ったら

楽団員が舞台に入り始めたところだった。

ギリギリセーフ。

けいこさんが清水和音の

ラフマニノフを聴きたいと言うので

付いて行ったが、

それだけのことはあった。

奇遇

駐車場のエレベーターに駆け込んだら

何と

ウィーンに一緒に行ったKさんご夫妻が

乗っていた。

急ぎ足で会場に向かったので

ゆっくり話している間が無かった。

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2012年11月 3日 (土)

第13回 伊藤正ピアノリサイタル

会場 前橋市民文化会館 小ホール

時間 19:00~

プログラムのテーマ ~24の調べ~

長調12個

短調12個

合わせて24個の曲想をショパンのエチュードで

順番に紹介する中で

以下の曲を演奏した。

バッハ         主よ人の望みよ喜びよ   ト長調

チャイコフスキー   白鳥の湖より 「情景」   ロ短調

ショパン        別れの曲           ホ短調

リスト          ラ・カンパネラ        嬰ト短調

             休憩

ドビュッシイ      月の光            変ニ長調   

リスト          愛の夢            変イ長調

ベートーベン      「運命」第1楽章      ハ短調

「ラ・カンパネラ」と「運命第1楽章」の演奏が

圧巻だった。

けいこさんの鳥仲間のKさん(83歳)にこのコンサートを紹介したら

快く来てくれた。

音楽に造詣が深くプログラムの調の図を見て

「これは5度圏ですね」と教えてくれた。

よく見たらその図の中央に

Cycle of  5th とあった。

そのことらしい。

「平均率が・・・」と説明してもらったが

それ以上は理解できなかった。

すると「ウキペディアによく説明されていますよ」と

教えてくれた。

ウキペディアの「5度圏」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%BA%A6%E5%9C%8F

ラ・カンパンネラはパガニーニのヴァイオリンの曲を

リストがピアノ曲にしたとか、

昨年ウィーンでウィーンフィルを聴いた話をすると

バレンボイムは名指揮者で・・・とか

アイーダを見た話をすると

日本の舞台は小さくて奥行きないので

兵隊の行進が十分にできないとか

いろいろ面白い話が聴けた。

去年の3月、伊藤さんご夫妻に案内してもらって

ウィーンへ一緒に行った人たちが

何人も来ていて懐かしかった。

付記

わたしたちが高校受験の時

受験科目は9科目だった。

音楽があった。

それで長調と短調の関係を

丸暗記して覚えた。

「ハイ・トホ・ヘニ・ニロ」

理屈は分からないが

今でも言える。

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煮リンゴ

市民音楽の集いから帰ってきたら

甘い香りが家中漂っていた。

煮リンゴだ。

先日、玉原の帰りに買ったリンゴで

義母(86歳)が作ったスイーツだ。

薄ピンクで美味しそうだった。

Dsc_0005

剥いた皮も一緒に煮込んだからだ。

レモンも入れたそうだ。

クロワッサンを買ってきて

はさんで食べたら

アップルパイのようで

美味しかった。

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市民音楽の集い

平成24年度高崎市民文化祭

会場 高崎市文化会館

時間 13:00~

前半は 市民愛唱歌の表彰式

入賞した3曲の演奏があった。

3曲目の「わた雲」の作曲は”おだわら ともお”さんだった。

彼のギターの伴奏で

天田美佐子さんが歌った。

後半は高崎市民音楽祭。

15組が演奏した。

わたしたちの合唱団は4番目に歌った。

曲目は、県の合唱祭と同じで

1 青い目の人形   作詩 野口雨情

2 愛が消える     作詞 谷川俊太郎

歌った後、

他の合唱団の歌や

高崎市新人演奏会に出た若者のソプラノやピアノの演奏を

鑑賞した。

折角の演奏なのに

関係者が聴いているだけなので残念だった。

もう少し一般の方が聴きに来てくれるような工夫が

必要だと感じた。      

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「松下竜一の青春」を読み始めて その6(75~94)

1970年は

松下さんが豆腐屋を廃業して

文筆活動に向かう転機の年だ。

1970年は

わたしにとっても記念すべき年だ。

朝日新聞が関東一円の学生対象に

1年間新聞配達をすればその積み立て金で

ヨーロッパの旅行に連れて行くという企画を前年から始めた。

前年の1回目は船でアメリカへ行った。

2回目は飛行機でヨーロッパへ行くというので

応募した。

そして、新聞配達に取り組んだ。

1970年は、大阪で万博が開催されていて

こぞって出向いたが

22歳のわたしは夏休みに

ヨーロッパ縦断の旅(2週間)に参加した。

1ドル360円の時代で

海外旅行も盛んになり始めの頃だった。

日航の110人乗りのDC8だった。

その頃は共産圏の中国、ソビエトの上空は飛べなかったから

アンカレッジ経由でイギリスに飛んだ。

訪問した国は

フランス、ドイツ、スイス、イタリアだった。

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2012年11月 2日 (金)

エベレスト街道 準備

地球の歩き方の「ネパール」を見ながら

持ち物を揃えた。

サングラスは紫外線が強くなるから必携だ。

ストックも足の負担を減らすために持って行こう。

寒さ対策は重ね着できること。

けいこさんは実際に着て確かめていた。

高山病になって食べられなくなった場合を想定して

お粥、梅干し、味噌汁を持つことにした。

それから、自家製の梅肉エキス。

寝袋はかさばるので借りることにした。

エベレストの由来

ネパールがイギリスの植民地時代の

インド測量局長官イギリス人の「ジョージ・エベレスト」に

ちなんで「エベレスト」と言った。

ネパール政府としては

「サガルマータ」=サンスクリット語で「宇宙の頭」と

言いたい。

地元のシェルパは

「チョモルンマ」「チョムランム」=チベット語で「大地の母」と

呼んでいる。

登頂の歴史

1953年 イギリスのエドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイ

1970年 日本人として松浦輝夫と植村直己が初登頂

1975年 田部井淳子が女性として初登頂

2013年 三浦雄一郎が80歳の最高齢で登頂する予定

エベレストの高さ

ネパール  8848m(1954年のインド測量局の測定値)

アメリカ   8850m(1999年の全米地理学協会のGPSによる測定値)

中国     8844.43m(2005年の中国国家測量局の測定値)

        3.5mの積雪を含まない。

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「松下竜一の青春」を読み始めて その5(75~94)

松下さんの珠玉の作品「絵本」が

紹介されている。

この作品は

高校時代の無二の親友福士英人さんへの

鎮魂歌でもある。

死ねば忘れられてしまう存在の友を

後世に残そうとして松下さんが書いた

物語だ。

「絵本」そのものを是非読んでみたいと

思った。

概要

福地さんは自分の死を悟り

松下さんの子ども(松下さんはまだ結婚もしていなかった)が3歳になった頃

絵本「ももたろう」を送ってもらうことを

自分の両親に托す。

福地さんが死んでから12年後に

その計画が実行され

その絵本が松下さんに送られてくるという

悲しくて切なくて

そして心暖まる物語。

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2012年11月 1日 (木)

my dairy

We watched my granddoughter's sport festival.

I took a photo of her activities.

This picture is bamboo hanging.

We will leave for Nepal next Tuesday.

I packed clothes and things in my suitcase.

teacher: Nepal is rustic.(rustic is simple)

Keiko: I will soon be in Nepal.

今日はKさんはお休みだった。

6日にネパールに出発するので

ネパールの話になった。

日程、食べもの、トレッキング等について

けいこさんが先生と話した。

わたしは聞き役だったが、理解できたのは

7割くらいだ。

けいこさんは

エベレスト街道には諸外国から沢山の人々が来るので

その人たちと少しでも多く話をしたいと・・・

わたしはというと誠に心もとないが

単語Eiglishで そして 度胸で 頑張ろう。

帰る時、先生が

Take care ! と言ってくれた。

そう言う時の返事は

Yes, I will.

と辞書にあった。

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「松下竜一の青春」を読み始めて その4(69~74)

新木さんは

72ページで

明治42年3月頃に

啄木が作った歌を6首(一握の砂)取り上げて

松下さんとの共通性を述べている。

わたしには啄木で思い出すことがある。

明治42年より遡ること4年

明治38年頃

わたしの町の隣町に

啄木と交流があった人物がいた。

その名を佐藤石門(良助)と言う。

啄木は明治38年に最初の文芸雑誌「小天地」を出版しているが

その雑誌に石門の短歌が10首掲載されている。

1年後の明治39年に、石門は雑誌「野の花」を

上毛新詩社から出版したが

そこに啄木の詩「野の花」が掲載されている。

啄木の詩の題名を雑誌の名前にしているところから

石門はその時点で啄木の才能を見いだしていたに違いない。

石門と啄木はいつ出会って

どの様な交流があったのか

詳しいことは不明であるが、

短歌と詩を相互に提供し合っていることは

事実だ。

母は石門の縁者から「野の花」の原本を

託されていた。

母亡き後、その貴重な雑誌を譲り受けているが

しかるべきところに収めたいと

思っている。

参考

啄木 

明治35年10月    盛岡中学校を退学

      11月    東京新詩社訪問

   38年 9月5日  文芸雑誌「小天地」  出版 小天地社より

              石門の歌 10首 掲載

   39年 4月    渋民尋常小学校代用教員

石門

明治37年10月   群馬県師範学校 修了

   38年 5月   群馬郡佐野尋常高等小学校 訓導

   39年3月27日 文芸雑誌「野の花」  出版 上毛新詩社より

             啄木の詩  野の花 掲載

   40年9月    東京市簪尋常高等小学校 代用教員         

   41年4月    群馬郡佐野高等小学校小学校 訓導

             このやり取りの3年後に

啄木は歌集「一握の砂」を出版した。

付記

佐野小学校はわたしの母校。

石門は35歳で逝去。

              

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「松下竜一の青春」を読み始めて その3(51~68)

67ページに

・・・後に甲山事件の冤罪事件を取り上げることになった時、・・・

「甲山事件」と書かれているのに気が付いた。

以前、「四つの終止符」という映画(主人公が聾者)の

上映会をしたことがあった。

その時、一緒に活動したK氏から

「甲山事件」を取材して

一冊の本(『甲山報道に見る犯人視という凶器』)にしたと

聴いたことがあった。

その本は見つからないが

障害児施設で利用者が殺されたが、

その施設の職員が犯人とされた事件である。

犯人とされた職員が無罪を手に入れるまでを

K氏が取材し、まとめたものである。

もしかしたら

その著書の中に「松下竜一」さんが登場しているかも

しれない・・・

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