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2012年11月 1日 (木)

「松下竜一の青春」を読み始めて その4(69~74)

新木さんは

72ページで

明治42年3月頃に

啄木が作った歌を6首(一握の砂)取り上げて

松下さんとの共通性を述べている。

わたしには啄木で思い出すことがある。

明治42年より遡ること4年

明治38年頃

わたしの町の隣町に

啄木と交流があった人物がいた。

その名を佐藤石門(良助)と言う。

啄木は明治38年に最初の文芸雑誌「小天地」を出版しているが

その雑誌に石門の短歌が10首掲載されている。

1年後の明治39年に、石門は雑誌「野の花」を

上毛新詩社から出版したが

そこに啄木の詩「野の花」が掲載されている。

啄木の詩の題名を雑誌の名前にしているところから

石門はその時点で啄木の才能を見いだしていたに違いない。

石門と啄木はいつ出会って

どの様な交流があったのか

詳しいことは不明であるが、

短歌と詩を相互に提供し合っていることは

事実だ。

母は石門の縁者から「野の花」の原本を

託されていた。

母亡き後、その貴重な雑誌を譲り受けているが

しかるべきところに収めたいと

思っている。

参考

啄木 

明治35年10月    盛岡中学校を退学

      11月    東京新詩社訪問

   38年 9月5日  文芸雑誌「小天地」  出版 小天地社より

              石門の歌 10首 掲載

   39年 4月    渋民尋常小学校代用教員

石門

明治37年10月   群馬県師範学校 修了

   38年 5月   群馬郡佐野尋常高等小学校 訓導

   39年3月27日 文芸雑誌「野の花」  出版 上毛新詩社より

             啄木の詩  野の花 掲載

   40年9月    東京市簪尋常高等小学校 代用教員         

   41年4月    群馬郡佐野高等小学校小学校 訓導

             このやり取りの3年後に

啄木は歌集「一握の砂」を出版した。

付記

佐野小学校はわたしの母校。

石門は35歳で逝去。

              

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