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2013年11月18日 (月)

第2代高崎藩主 酒井家次

今年の秋の城址公民館の作品展で

高崎五万石騒動研究会は発表したが

わたしは江戸時代初期に起きた

下小鳥村の村民が殲滅された「首塚」伝説を

担当した。

言い伝えではあるが

明治時代にはこの事件を後世に伝えるため

立派な石碑が建てられた。

その残虐な事件が生じたのは

1616年元和2年の正月4日と石碑に記されている。

そこで

当時の高崎藩主が誰であったのか調べてみた。

箕輪城が箕輪から高崎に移動したのが

1598年(慶長3年)だ。

家康の命令で井伊直政が行っている。

井伊直政が高崎藩の初代藩主だ。

2代藩主の酒井家次は

1604年~1616年まで高崎藩主だった。

1616年に越後高田藩に移封された。

3代藩主は戸田康長で、大坂夏の陣に2回従軍し、

その功で

1616年(元和2年)に常陸笠間藩から高崎藩に移封された。

と言うことは

この事件が起こったのは

1616年の正月4日なので

藩主は2代の酒井家次と言うことになる。

この酒井家次は

1614年の大坂冬の陣や

1615年の大阪夏の陣に参戦した。

夏の陣では岡山口の戦いの3番手の大将だったが

敗走して高崎の戻った。

この時代はまだ関西では

血生臭い戦いが行われていたのだ。

1615年秋、藩主が大坂夏の陣から戻った次の年の

正月に事件は起こったのだ。

この時代、武士が戦いで人を切ることが

常態だったのだろう。

1616年家次が

越後高田藩に移封されたが

この小鳥村殲滅事件との関係が

あったのだろうか?

仮説1 大阪夏の陣での功績が少なかった。

仮説2 藩の武士が小鳥村殲滅事件を起こした。

仮説3 仮説1と仮説2の両方のことで責任を取らされた。

大坂夏の陣の勝利により

江戸幕府は以後、安泰の道を歩むことになるが

この当時、武士はまだ人を切り殺すことに

あまり抵抗が無かったのではないかと想像できる。

1616年は家康が75歳で亡くなった。

この年に、シェイクスピアも亡くなっていた。

1616年は「歴史はイロイロ・・・」の年だ。

高崎の下小鳥村では全村民が惨殺され、

日本では家康が西方浄土へ旅立ち、

世界ではシェイクスピアが昇天した。

今年は2013年だから

約400年前のことだ。

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