2012年11月 6日 (火)

近藤亨氏の仕事

数年前

ラジオ深夜便で近藤亨氏の生き方を知った。

その後、前橋で彼の講演を聴き

ネパールのムスタンに行きたくなった。

4年前、「ネパールを知ろう」と言う旅行社のツアーに参加した。

旅行社は近藤氏の活躍の情報を

残念なことに持っていなかった。

近藤氏に会うことを諦めて

出かけた。

ジョムソン空港を降りて

茶店で出発を待っている時だった。

ジョムソンの町の上の方から白馬に跨った白髭の

近藤氏が降りてきた。

(わたしの髭は近藤氏を真似たもの)

握手をして再会を喜んだ。

その後、りんご園の剪定を指導している近藤氏の姿を見た。

そのときの記録(by Keiko)

http://www.geocities.jp/tisanakagayaki/tabisaki.2009.12.nepal.htm

今回、ネパールに行くに当たって

「近藤亨」氏を検索したら

テレビで近藤氏が紹介されていた。

ご覧下さい。

http://www.youtube.com/watch?v=gXx7m0pjHUE

今夜、ネパールに出発。

20日帰国。

この間ブログのアップは

お休みします。

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2012年8月30日 (木)

ネパール大使館

ビザを申請に行った。

住所は目黒区下目黒。

目黒駅に9:50着、

目黒通りに沿って1.5キロメートルくらいなので

歩くことにした。

初めての道は遠かった。

スーパーから出て来た婦人に

高校の校門でたむろしていた高校生に

郵便配達の青年に

ネパール大使館を尋ねて

行くことができた。

思ったより遠かった。

2キロメーターくらいに感じた。

大使館は民家をちょっと大きくした建物だった。

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廊下の奥に事務所があった。

事務員は日本人だったので

安心してビザの申請ができた。

パスポートと書類を渡した後、少し時間があったので

ホールの中に列べられてあるネパールの品々を眺めた。

お持ち帰り自由のポスターがあったので

カラパタールからのエベレストを選んだ。

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滞在料1人3000円、

2人分6000円を支払って預かり証を受けた。

帰りは

大鳥神社に寄って参拝した。

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目黒駅から暑気払いの会場の最寄り駅

東京駅に向かった。

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2011年11月 8日 (火)

新居移転の挨拶状

昨年の10月、
ネパールへ行った。

ガイドとポーターと
わたし達2人。
4人でのトレッキングだった。

エベレスト街道を
辿ってエベレストを見る計画だったが
天候不順で
飛行機が飛ばず
行き先を変更して
アンナプルナ方面へ行った。

3日かけて
ゴレパニまで行った。
早朝、ベストビューの
プーンヒル(3198メートル)へ登り、
朝焼けのダウラギリ(8167メートル)を
見ることができた。
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2日後
急な山道を川まで降り、
同じくらい登りあげて
やっと宿のあるランドルン村に
着いた。

ガイドが決めた宿に
入ると
川で追い越された
日本の若夫婦がいた。
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聴くところに寄ると
1年計画の
世界旅行の途中で
明日は
アンナプルナBC(ベースキャンプ)方面へ
行くという。
http://chikyu.boo.jp/archives/2635

わたし達は
下山する予定だった。
宿の庭から
真っ白なアンナプルナサウス(7219メートル)が
見えた。
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ここでこの二人と一緒に
夕食を食べようと思った。


その前に
シャワーを浴びることにした。

けいこさんが
入ってしばらくした時だった。
ガイドが
わたしの部屋に
飛び込んできた。
「ケイコサンガ
ヨンデイマス。
スグ、イッテクダサイ」

シャワー室の床が
タイルだった。
滑ってしまって
腰を打ち動けないという。

部屋に担いで
連れてきたが
腰に激痛が走って
動けないという。

持ってきた湿布を貼り
痛み止めを
飲むことにした。
けれど飲む量が
分からない。

日本人の奥さんは
薬剤師をしていたというので
薬を持って行って
飲み方を訊いてみた。
痛みが激しければ2錠飲んだ方が
良いと教えてくれた。
1日2錠飲むと
2日分しかなかった。

すると、インドで買った痛み止めを
使うようにと言って
手渡してくれた。
ありがたかった。

けいこさんの記録
http://www.geocities.jp/tisanakagayaki/tabisaki.2010.10.nepal.7.htm

彼らは
翌朝、予定どおり
アンナプルナBCへ
向かった。

けいこさんは
歩くことが無理なので
ガイドが保険会社に連絡を取ってくれた。
その結果
次の日
ヘリコプターが
迎えに来てくれることになった。
ポーターには
歩いて帰ってもらった。

ヘリコプターが
畑に着くと
村人が大勢駆けつけた。
大勢が見守るなか
ヘリコプターは離陸し、
カトマンズへ飛んだ。
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病院に行き
診察してもらったら
骨には異常は見られないというので
一安心した。
痛み止めの注射と
薬をもらい
ホテルに帰って
休んだ。






そんなことで
お世話になった二人は
その後
中東
 ↓
ヨーロッパ
 ↓
アフリカ
 ↓
南米
 ↓
北米
 ↓
ハワイ
 ↓
成田

と回って
今年の9月に帰国した。

帰国後、自分たちで
住宅の改修を始めた。
それが完了して
転居したという挨拶状だった。

世界旅行へ行く前は
パン食だったが
ご飯が美味しくて
米食になってしまったとのこと。

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2010年11月 4日 (木)

月の光の道で

登山第1日目は
ポカラから車でナヤプルへ。
出発地ナヤプルに着いたのが16時。
歩き出したら、雨がぽつりぽつりと
降り出した。
しかし、カッパを被るほどでもなかった。

村の生活道路で
ロバの一行と出会ったりした。
ガイドのラムさんが
1日目にヒレまで行くと
後の行程が楽だというので、
頑張ることにした。
2時間ほど歩くと月が出てきた。
満月に近いので明るい。

ヘッドランプをけいこさんに渡し、
わたしは月の光で歩くことにした。

明治時代、河口慧海は原始仏教を求めて
鎖国中のチベットに行った。
インドに上陸し、ネパールに入り、
カルガンダキ川に沿って
険しい山道を北上、
街道は検問があるので
ヒマラヤの山中を
一人で越えてチベットに入った。

彼のチベット日記の中に
月光に照らされるヒマラヤの山々を
見ながら歩いたという記述があった。
それを思い出し
ガイドに言った。
「明治時代の河口慧海と
同じに歩こう」
月の光は思ったよりずっと明るかった。
街灯がなかった子供の頃を思い出しながら・・・
月の光を頼りに1時間ほど歩いた時だった。
道が水浸しになっていたところで
滑ってバランスを崩してしまった。
石の側壁に体が倒れそうになったので
思わず、右手を出した。
ストックを握ったまま。
見ると右手中指が切れていた。
全身をここで支えたのだから仕方ない。
でも、出血はしていなかった。
けいこさんがすぐに
バンドエイド出してくれた。

その後からは
ガイドのラムさんに足下を
懐中電灯で照らしてもらいながら
歩いた。
ヒレのロッジに着いた時は
20時を過ぎていた。

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2010年11月 3日 (水)

あと一歩のところで

10月19日の朝、カトマンズ空港に行った。
空港内は各国のトレッカー達でごった返していた。
ここ2~3日、ルクラ方面の天候が悪く
飛行機が欠航していたため
エベレスト方面に行く人が足止め
されていたためだった。
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人は待合室に入ってくる一方で
搭乗口へ行く人がいない。
昼食時刻になり、
現地旅行社の社員が
お弁当を届けてくれた。
おむすびが2個入った日本食だった。
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午後2時頃になって
漸く搭乗口へ入ることができた。
しかし、そこも一杯だった。

わたし達の乗る順番は19番目だった。
3時半頃、17番目が飛び立った。
4時頃、わたし達の順番が来た。
バスに乗り込み
飛行機が待機しているところへ行った。
緑のTARA航空機だ。
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バスから降りて自分たちが
乗る飛行機を撮したりしていた。
すると、バスに戻れの指示。
大型飛行機が着陸するので待機とのこと。
30分位して漸く飛行機が降りた。

さあ、わたし達の搭乗だ。
と思ってバスから降りようとした時だった。
バスの運転手が言った。
「キャンセル」

ルクラの気象状況が悪くなったためか、
それとも
夕刻に近づいたためか
分からなかった。

あと一歩のところで
飛行機に乗れたのに・・・

搭乗券を返して
旅行社の車で
ホテルガンジョンに戻った。

エベレスト街道の入口のルクラは
遠かった。

その夜は
ネパールの民族舞踏を見ながら
食事をした。
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2010年11月 2日 (火)

人との出会い

明日カトマンズから帰国するという朝のこと。
けいこさんが
「早く行けば、人に会うチャンスが
多いから、早く行きましょう」と言う。

ホテルの朝食は
1階の食堂でバイキングだった。
もう3日目で何処に何があるか
分かっていた。

昨日から、チベットからの婦人団体客が
来て賑やかだった。
いつも使っていたテーブルが
彼女らで塞がっていた。

空いてるテーブルを
探した。
4人がけのテーブルが空いていた。
そこにカメラを置いて
パンを取りに行った。
テーブルに戻ってくると
そこには昨日
一人で食事をしていた老人が
パンを食べ始めていた。
相席になった。
わたしはネパール人かと思っていたので
「ナマステ」と挨拶した。
すると「おはようございます」と
応える。
「日本語がお上手ですね。
どこで、覚えたのですか?」と
言うと、
「わたし、日本人です」
「失礼しました」

聴くところによると
今回はトロンパスの峠を
登ってきたとのこと。
5416メートルだ。
今までにネパールの山を幾つも登っていた。
それ以前は
ヨーロッパの山も
登っていたという。
マッターホーンもアイガーも
モンブランもヨセミテも・・・
ヨーロッパの山を
登ってしまったのでネパールに来たという。

凄い岳人だった。

食事の時は入れ歯を外しているため
老けて見える。
けいこさんが
「失礼ですが、お年は
お幾つですか?」と尋ねた。
「78歳です。一人が一番気が合うので
一人で登っています」と言う。
年金を半年積み立てて
その金で年に2回
ネパールに来ているとのこと。

「80歳でエベレストの登頂記録を作った
三浦さんを越えて下さい」と言うと
にこにこしていた。

もしかしたら、この人
三浦さんの記録を書き変えるかもしれない。

隣のテーブルで
一人で食事をしていた婦人は
日本人と分かっていた。
食事を終えたので
「今回は山ですか、寺ですか」と声を掛けた。

「一人で山歩きをしています。
今回は、エベレストの東の
世界で3番目のカンチェンジュンガを
見に行きます」という。
「こちらも一人でトレッキングされている方なので
話が合いそうですから
こちらにお掛けください」と言うと
わたし達のテーブルに入ってきた。

やはり十数回ネパールに来ているとのこと。
話していると
老人と婦人の旅行社が
同じであった。
二人はその旅行社が
山情報に長けているので
是非活用して下さいと勧めてくれた。

田部井さんが今ネパールに
来ていること。
岩登りや冬山登山の練習をしていること。
今年ダウラギリで雪崩で亡くなった方の
奥さんが気丈夫だったとのこと。
・・・
山の話に花が咲いた。

一人旅を愛でる人同士を
同じテーブルで
話をする機会を作れて
嬉しかった。

こんな機会も
早く食事に行こうと
けいこさんが促してくれなかったら
できなかったことである。

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2010年11月 1日 (月)

帰高

10月31日の早朝、
タイ航空で帰って来た。
バンコクを飛び立って
直ぐに
スチュワーデスのアナウンスがあった。
成田は強風と言っているのが
分かったが、
なぜ強風なのか分からなかった。
6時間後、
日本上空に来ると雲が覆っていた。
雲海の上をしばらく飛んで
着陸体勢に入った。
雲の中をくぐって成田空港に着陸。
風などほとんど吹いていなかった。

わたしは「成田は強風」と聴いたのは
間違いかと思った。

高崎駅からタクシーに乗った。
運転手が
「台風が昨夜、房総沖を通過してしまって
良かったですね」と言う。

一日、早かったら
着陸できなかったらしい。
台風通過直後に
成田に着いたのだった。

家に着き、
半月振りに
湯船に浸かった。

いろいろハプニング続きの
ネパールの旅だった。
現地ガイドのラムさんの
「ゆっくり、びっくり、うれしい旅 でしたね」
と言う言葉が
耳に残っている。

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2010年10月31日 (日)

第15日目 成田空港→高崎 

成田空港着 6:20

成田発 8:05

高崎着 11:10

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2010年10月30日 (土)

第14日目 カトマンズ→バンコク

カトマンズ→バンコク

13:30 カトマンズ発

18:15 バンコク着

22:10 バンコク発

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2010年10月29日 (金)

第13日目 キルティプル→市内巡り

カトマンズ (フライト予備日)

キルティプル→市内巡り

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