2012年12月17日 (月)

「松下竜一の青春」を読み始めて その8(101~116)

エベレスト街道へ行っていたので

「松下竜一の青春」を読むことができなかった。

1ヶ月振りに本を開いた。

116ページに1972年の頃の記述に

6月、田中角栄通産相が「日本列島改造論」を発表、

7月5日には首相になる。

とあった。

今回も、フライト予備日に

カトマンズで日本料理レストランを経営している

TOさんの店に行った。

TOさんはネパールから日本を客観的に見ている方だ。

日本を離れ、カトマンズで10年以上も生活している。

食事をしながら、いろいろと話を聴いた。

若い時、日本で新聞関係の仕事をしていたというので

「現役時代で、一番印象に残っている仕事は

何ですか?」

「田中角栄の『日本列島改造論』を編集して出版したことかな」

という。

当時ベストセラーになった本である。

担当の秘書と何度も打合せをして

仕上げたそうだ。

『日本列島改造論』は高度経済成長の推進役を

果たした本だが、その事に関わっていたと聴いて

驚いた。

今は、レストランの店主だが

若い頃に、歴史的な仕事に携わっていたのだ。

松下さんは、この日本列島改造論の

反対の極に位置する人だ。

日本列島の自然を守るために

工業化を押し進める人たちに

真っ向から立ち向かったのだ。

当時、読まなかった

『日本列島改造論』を改めて

眼を通すのも

松下さんを理解する上で

必要かも知れない。

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2012年12月14日 (金)

エベレスト街道2012 (8)エベレスト街道の報告に行ったら

Tさんに

エベレスト街道の写真を見てもらうために

訪問した。

Tさんは、「エベレストのアップ」と「ゴンパとエベレスト」の

2枚を見比べて

Dsc_0712 

Dsc_0656_2

「ゴンパとエベレスト」を選んだ。

Tさんは、ネパールに2回行っていた。

1回目は、ナムチェからエベレスト街道の途中まで。

2回目は、飛行機事故で亡くなった友人の弔いのため。

この時は、エベレストの遊覧飛行をしたそうだ。

Tさんは、まだエベレスト街道のカラパタールやベースキャンプまでは

登っていない。

そこで、Tさんが言った。

「三浦さんが80歳で来年登るんだから、

わたしたちもエベレストに挑戦しましょうよ。

一緒に行きませんか」

Tさんは、若い頃、山岳部で沢山の山を経験していて

現在も機会があれば登っているそうだ。

そのTさんから誘われると

もしかして、行けるかもしれないと思ってしまい、

「お伴させて下さい」

と言ってしまった。

「時間をかけて、ゆっくり登れば、

ベースキャンプから1000mくらいまで

登れますよ。

最近は酸素ボンベも軽くなりましたから」

と夢のような話になった。

「でも、身体を鍛えて下さいね」

と厳しい言葉が付け加わった。

三浦さんは、日常敢えて重いリュックと重い靴を身に付けて

生活して身体を鍛えている。

それを見習わなければ不可能だろうと思った。

今回も、Tさんの学生時代の山の後輩で

カトマンズでレストランを経営しているTOさんのお店に

寄ってきたので

その写真も持って行った。

Tさんは、TOさんの写真を食い入るように見て

「昔の雰囲気があるが、大分変わってしまったなぁ」

と懐かしそうに言った。

TOさんも、2~3年で店を譲って日本に帰るそうなので

TOさんがカトマンズにいるうちに

行きたいとのこと。

ベースキャンプまでは望まないが

もしかしたら

その手前の「カラパタール」までは

行けるかも?

これわたしの夢!

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2012年12月 9日 (日)

エベレスト街道2012 (7)画像があった

高度順応のため

ナムチェバザールに2泊した後

タンボチェに向かったが

どうしたことか

この時の画像が今までどうしても見つからなかった。

今日、もう一度3枚のSDカードを

確認したところ

ようやく見つかった。

Dsc_0557

歩き始めて見たダフェ、

Dsc_0568

前方にエベレストを見ながら歩いた山道等々

Dsc_0634

忘れていた景色を

これで思い出すことができる。

エベレスト街道の全部の画像が揃ったので

印象に残っていることを

少しずつ記録して行こう。

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2012年12月 5日 (水)

オオミツバチの巣?

NHKのHPより
地球ドラマチック
「少年VS巨大ミツバチ~ヒマラヤ 断崖絶壁での戦い~」
高値で取引される幻のハチミツを求めて、
断崖絶壁でヒマラヤオオミツバチの巣をとるネパールの男たち。
父の後を継ごうと、初めて命懸けの作業に挑んだ14歳の少年を追う。
ネパールの山岳地帯。
地上70メートルの断崖絶壁で、命綱もなく、
手製の縄ばしごだけを頼りにハチの巣をとる男たちがいる。
“ハニーハンター”と呼ばれ、ヒマラヤオオミツバチの巣を狙う。
2メートルもの巨大な巣からとれる“幻のハチミツ”は高値で取引される。
14歳の少年モティは、父の後を継ごうとハニーハンターとして修業を始めたばかり。
ベテランのハンターに教わりながら、初めて命がけの作業に挑む。
12月1日にこの番組の後半を見た。
エベレスト街道の帰り道
岩壁にハチの巣があるのに気付いて
写真を撮ったのだが、あれは
ヒマラヤオオミツバチの巣だったのかもしれないと思い、
画像を探してみた。
Dsc_0660
アップ画像
Dsc_0663
蔓で作った手製の縄ばしごを使って命懸けで少年が蜜を
取っていたが、
こういう岩壁にある巣を取るのは
危険極まりないとつくづく思った。
最後、少年が取った蜂蜜をベニの町に
父親が売りに行くが
仕事の危険度に比べて安い値段だった。
わたしたちは
このベニの町には思い出がある。
3年前(2010.1.1.)にジョムソンからトレッキングでポカラ方面に降りたが
バンダ(ストライキ)のため、バスが動かなくなり
ベニの町で数時間滞在を余儀なくされてしまった。
路上で子どもたちにスコープを覗かせてやったり、
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                   by Miki
Dsc_0262
                                          by Itijin
広場で一緒にバスケットボールをしたりした町だ。
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                                             by  Miki
散歩したり、昼食を薄暗い食堂で食べた記憶もある。
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                                          by Itijin
偶然見た番組だが
ベニの町といい、ヒマラヤオオミツバチといい、
非常に身近に感じられた。

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2012年11月25日 (日)

エベレスト街道2012 (6)幸せ感(労働と食事)

ブータンは幸せ感、世界一と言われている。

幸せって何だろうか?

エベレスト街道を歩いていて考えた。

人々は豊かではない。

狭い畑を耕して作物を育てて生きている。

仕事として一番目に付くのが運搬の仕事だ。

急な坂道を重い荷物を運ぶ。

ゾッキョやヤクを使って。

ロバやウシを使って。

そして、直接人力で。

人は60㎏、90㎏の荷物を背負って黙々と運んでいた。

大変な仕事だ。

そこで、思った。

体力の限界に近い仕事をした後の食事は

美味いだろう。

夜、寝る時は床につけば直ぐに

ぐっすり眠ることができるだろう。

その時感じる満足感は深いものだ。

わたしたちは

常に食が足りていて、食事の時間が来たからと言って

食べている。

乗り物を使って、電気器具を使って

なるべく身体を動かさないで生活をしている。

わたしたちは

本当の疲労を体感することはほとんどない。

だから、食事の真の美味しさや休息での真の安らぎを

感じることなく日々を送っているのだ。

エベレスト街道で働く人は

安い賃金で重労働をしながら

わたしたちより貧しい生活を送っているが

日々の食事の美味しさや

安らかな睡眠の満足度は

わたしたちよりずっと高いに違いない。

満足度は経済力や便利さでは計れない。

今回、エベレスト街道を歩いて

貧しい中でも満足感を味わって生きている人々が

いることを知った。

満足感を幸せ感と置き換えれば

ブータンの幸せ感世界1が理解できる。

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2012年11月24日 (土)

エベレスト街道2012 (5)ヤクとゾッキョ

エベレスト街道を歩いていると

荷役の動物たちに出会う。

ヤクはウシに似ているが、腰の辺りの毛が長く角も立派だ。

ゾッキョはウシとヤクを掛け合わせで性格が温和しく黙々と歩いていた。

ルクラからナムチェまでの間は

ゾッキョがほとんどだった。

ナムチェから上では寒さに強いヤクが多かった。

その他、ロバに時々出会った。

ウマは疲れて歩けなくなったり、怪我をした人を運ぶようだ。

ナムチェからの帰り道に日本人を乗せたウマが追い越して行った。

下り坂なので振り落とされないようにしっかり鞍に掴まっていた。

エベレスト街道はこれらの動物が落とす糞があちこちにあるので

注意しながら歩かなければならない。

糞が特に多いのが急な坂道だ。

ゾッキョやヤクが重い荷物を積んで坂道を登る時に

出てしまうようだ。

「踏んばる」の語源は

もしかしたら「糞ばる」からきたのではないかと思いたいくらいだ。

何しろ急な坂道には糞が多かった。

糞と言えば村民は

これらの糞を上手く利用している。

大きな岩に糞ハンバーグが沢山貼りつけてあった。

乾くと自然に落ちてしまうようだ。

乾燥した糞ハンバーグは手頃な燃料になるのだろう。

わたしたちの泊まったロッジでは使っていなかったが

村民はこれを日常的に燃料として利用しているようだ。

プンキテンガと

クムジュン村でこの糞ハンバーグを見かけた。

写真には撮ったが

さすがに手に取ってみることはできなかった。

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2012年11月23日 (金)

エベレスト街道2012 (4)高度4150m

6日目

プンキテンガ(3250m)のロッジから

キャンズマへ戻ることにした。

キャンズマの手前にゴーキョへ行く分かれ道があった。

ガイドがその道を登ってモン・ラへ行くことを

勧めてくれた。

けいこさんが行けそうだというので

モン・ラへ向かった。

道は狭く急登だった。

しばらく登ると少し緩やかになった。

純白のアマダブラムを右前方に見ながら坂道を

辿った。

カラパタールへの街道より

トレッカーが少なく静かに登れた。

時折、荷役の数頭のヤクがわたしたちを追い抜いて行った。

モン・ラの村が前方に見えたが

なかなか近づかなかった。

右手の中腹にタンボジェが見えた。

一歩一歩高度をあげた。

漸くモン・ラの村に着いた。

ガイドの馴染みの店に入って昼食を食べた。

この店の看板に高度が3973mとあった。

その後、ガイドの後について

人家の裏手にある斜面を登って行った。

しばらく登って行くと

50㎝ほどのケルンが幾つか積んである所に着いた。

ガイドがここが4150mの地点だと教えてくれた。

4150m 高度新記録だ。(altitudo 4150m)

モン・ラの村を下方にして記念写真を撮った。

その辺りには

エーデルワイスに似た花が寒風に揺れていた。

乾燥してカラカラであったが

花弁はしっかりしていた。

雲が増えてきて、風も冷たくなったので

直ぐにモン・ラの村に降りた。

そして来た道を戻った。

途中から雪が降り出した。

下り坂だったので

雪もあまり苦にはならなかった。

その夜は、キャンツマのロッジに泊まった。

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2012年11月22日 (木)

エベレスト街道2012 (3)ネパールの国鳥ダフェ

ネパールの鳥図鑑の表紙は

ダフェだ。

「地球の歩き方」にはクムジュン村で

観察できるとあった。

ガイドのラムさんに今回はダフェが見たいと

念を押して頼んだのだった。

ラムさんのお陰で今回の旅で

ダフェに5回遭遇することができた。

第1回(3日目パクディン→ナムチェ)

夕方、ナムチェ村の入口にさしかかった時だった。

ラムさんがダフェがいると言う。

ナムチェに向かって左側の斜面の畑に

ダフェが数羽いた。

手前の畑にはロバが放牧されていた。

暗くなりかけていたので羽に光沢は無かった。

近くに行きましょうとラムさんは

ロバの中を進んだ。

蹴られては大変なことになると思ったが

温和しくしていたのでロバの間を抜けてダフェに

近づいた。

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すると2羽が下の森の方へ飛んで行った。

キジのように滑空していた。

ラムさんが土地の人に聞いたところに寄ると、

この時間帯はオスだけが餌場に来るそうだ。

メスはもっと早い時刻に来るそうだ。

畑に落ちているものを

食べているようだった。

第2回(5日目ナムチェ→プンキタンガ)

朝、ナムチェからエベレスト街道を北に向かって

歩き出して直ぐの所だった。

ラムさんがダフェがいると教えてくれた。

南側斜面の下の方に数羽のダフェがいた。

畑の境界は1m程の石垣が積んである。

その影になっている所で

数羽のダフェがのんびりと餌を食べていた。

遠くて逆光だったので

ダフェの姿を撮るのは

難解だった。

第3回(6日目プンキテンガ→モン・ラ→キャンズマ)

モン・ラの帰りに雪が降り始めた。

キャンズマのロッジに着いた頃には

一面が白くなっていた。

見晴らしの良い部屋で寛いでいると

ラムさんが直ぐ下の畑にダフェがいると教えてくれた。

雪の中でダフェが餌を探していた。

ダフェが餌探しをしたところは雪が消えて

黒くなっていた。

やはり、オスばかりで

メスは見られなかった。

第4回(6日目キャンズマの早朝)

エベレスト街道をナムチェ方面に10分ばかり降りると

エベレストが見られるというので

そこまで出かけた。

エベレストを眺めてロッジに戻って来る途中、

人家の近くにダフェがいた。

昨夕、ロッジの下の畑に来たダフェだったのだろうか?

第5回(6日目キャンズマ→クムジュン→シャンボチェ)

朝、キャンズマのロッジを出てクムジュン村に向かった。

わたしたちが歩いているだけだった。

しばらくするとラムさんが叫んだ。

「国鳥がいます」

石垣の近くにダフェがいた。

順光の中でダフェの羽が輝いていた。

おおきな輝きだった。

反対側の日陰いたダフェのオスが声をあげた。

20分くらい鳴き続けた。

ラムさんはネコからヒナを守るために

鳴いているのだろうと言った。

日向のダフェは日陰のダフェが鳴き止むまで

じっとして動かなかった。

ダフェの声が聞こえなくなると

順光の中のダフェがまた動き出した。

よく見たらその向こうにメスのダフェがいた。

けいこさんが幼鳥も見えると言った。

この場所でゆっくりダフェ三昧に浸った。

その後行ったシャンボチェの村では

ダフェを見ることはなかった。

ラムさんが

「以前はシャンボチェでも見かけたが、最近はいません」と言った。

ガイドブック「地球の歩き方」の情報は

少し古かったようだ。

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エベレスト街道2012 (2)最初のエベレスト

ガイドブック「地球の歩き方」には

最初にエベレストが見えるのは

ジョサレからナムチェに登る時とある。

しかし、わたしたちがそこを登ったのは

3日目の午後だったので雲があって

エベレストを眺めることはできなかった。

次に見ることができる所は

ナムチェの国立公園オフィスの丘とある。

4日目の早朝

ロッジからオフィスの丘へ行った。

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日本から写真を撮りに来ていたグループが

丘の中央に陣取って撮影していた。

Dsc_0129

わたしたちは少し下の方から

エベレストを眺めた。

最初のエベレストだ。

この山容を見たくて来たのだ。

Dsc_0058

右側がローツェだ。

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霜が降り、寒かったが

夢中で撮った。

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帰りに日本人の若い夫婦に会った。

仕事を辞めて

自転車で世界旅行をしているというので

話を聞いた。

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インドからカトマンドゥに来て

カトマンドゥに自転車を置いて

ナムチェに来て

これからカラパタールへ行くとのこと。

アジアを回ったら

南米へも行くそうだ。

ブログにその様子をアップするというので

その名前を聞いて別れた。

「えうろぱっ」

http://kakigatabetai.sblo.jp/category/1912667-1.html

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2012年11月21日 (水)

エベレスト街道2012 (1)ヤツガシラ

3日目(パクディン→モンジョ→ナムチェ)の午前11時頃だった。

歩き疲れて

モンジョの村(2835m)に入った。

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ラムさん(ガイド)が進行方向右手の休憩する店に入ったので

後から付いて行った。

店の外にテーブルと椅子が数組あったのでそこに腰を降ろして、

リュックを外そうとした時だった。

南に広がる芝生の庭に鳥影。

芝生を突いている。

芝と同じ色で判りにくい。

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目を凝らすとヤツガシラだった。

距離は10メートルくらいしか無かった。

客はわたしたち3人だけだった。

逆光だったので、南側に回った。

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しばらくすると砂浴びをした。

Dsc_0603 

ヤツガシラは土の中に嘴を叩くように挿し込んで

何やら食べていた。

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わたしはタゲリが地中のミミズをつまんで食べていたの

写真に撮ったことがあったので

ミミズを食べているのだろうと思った。

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ところが後で画像を見たら、ミミズではなかった。

白い昆虫の幼虫のようだった。

銜えてから飲み込むまで

40秒だった。

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人の気配をあまり気にしない個体だった。

驚いたり怒ったりすると冠羽を広げるが

一度も冠羽を広げることが無かった。

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20分くらいゆっくり観察できた。

店の女性の話によると

この場所に2~3羽来るそうだ。

しばらくするといなくなるだろう。

来る年と来ない年があるようだ。

土地の人はヤツガシラにほとんど

興味を持たないようだった。

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興奮醒めやらぬいちじん。

ここ個体は

建物の向こう側の木立に住処を持っている様に

思われた。

8日目(シャンボチェ→ナムチェ→モンジョ→パクディン)

帰り道の楽しみは

モンジョのあの店に

ヤツガシラがいるかどうか確かめることだった。

ところが

帰りにその店に寄ると

日本の団体客(山岳写真撮影トレック)が入っていた。

しかもコック付きの団体で

コックたちが庭の反対側で調理をしていた。

店と調理場の間の庭(ヤツガシラの餌場)は

人が行き交いしている。

これではヤツガシラの来る余地は無い。

半ば諦めて庭を見ていた。

するとどうだろう。

あのヤツガシラが庭の隅の方で

人を避けながら土を突いていた。

人が近くを通ると飛び立ち

塀の上に留まったり、

道を越えて畑の方へ行ったりしていた。

最後は店の屋根を越えて

北東のこんもりした木立の方へ飛んで行った。

そこに巣あるいは塒があるように思われた。

今回のトレックでヤツガシラを見たのは

このモンジョのこの店だけだった。

ラムさんがこの店に入らなければ

ヤツガシラとは出会えなかったのだ。

ラムさん

Thank you.

ダンニャバード

(後日、ヤツガシラの画像をアップします)

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